美の本質

南の空高く昇った太陽! どれだけ紋切り型の褒め言葉を並べ立てても形容しつくすことのできぬ情熱のお天道様! ふんぞり返った真昼の支配者の、じわじわ、むんむんした熱気に、黙っていても「あつい」の三文字がいささか濁点を帯びた響きで降り注ぎそうほどの昼下がり。七分袖のブラウスを肩の近くまでまくしあげ、サトはお使いで頼まれた紫色のチョウチョを引っさげ果樹園へ向かっていました。

思えばこのチョウチョ。捕まえるのにどれだけ苦労したものか! すみれ色の宝石のような羽の持ち主は、普段から枝の陰や葉のうらに身を潜めて、それ見つけたと思ってさっと手を伸ばすとあざ笑うかのようにひらひらと軽やかに身をかわし、やれ逃がすものかとあとを追えば上へ下へ、右へ左へ、今にもつかまりそうな具合に身をかわし、そして挙句の果てには空高く舞い上がって、最後にもう一度、汗だくのサトを見下すように旋回した後、空の青に混じるように消えてしまうのです。

その姿はまさしく、思わせぶりたっぷりにさんざん女の子をもてあそび、その実彼女に想いなんかまったくなくて、気のすんだころ彼女を残して雲隠れしてしまう好色漢。あとに残されたサトの耳に届くのは、ジンジン響くセミたちの交響楽。だけどそれすら、つかもうとすると消えてしまうすみれ色の宝石に比べれば、はるかに親しみと好感を感じさせるものです。

―“もう飛ぶまいぞ、恋のちょうちょくん”なんて歌があるね―と秋から春の間だけやってくる銀髪の音楽家は済ました顔で言っていました。―ちょうちょは移り気な浮気者の象徴でもあるんだ―虫かごに入った紫色のチョウチョを睨みつけます。美しいくせに気まぐれなチョウチョ。いやいやきっと、美というものは常に、気まぐれで高慢ちきな性質を帯びているに違いない。絶世の美である以上それは非凡であり、非凡であるためには利己的でなくてはならないんだ…それならば。

あれだけたくさんの美しい花々を管理して、その花目当てに集まった「浮気者」に囲まれているあの花屋の青年は、いったい毎日どんな気分なんだろう! そんなことをくそ真面目に考えながら、サトはこのはな村を流れる小さな川にかかった朱色の橋を渡って、自然の間借り人ともいうべき巨大な大木がその壁につきささっている古めかしい家屋を横切り、大きな果樹園の中に飛び込みました。


巨大なバナナの大木がまるで迷宮のように植え込まれています。まだ若干緑色の実からは、すでにほのかな甘ったるい香りが漂い始めてきていました。―今日はおいしくなったかな? なんて山のお猿さんが味見にやってきそうなぐらいにたわわになったバナナたち。高い木の枝にぶら下がり、こずえの間から漏れた日の光を浴びて、それはまるでシャンデリアのように輝いています。牧畜中心のブルーベルの住民であるサトは、これまで果樹栽培というものをしたことはありません。でもしばしばこの果樹園の主であるザウリからお使いを頼まれ、足しげくここに通ううち、大きな樹木に鈴なりの果物という風景は極めて日常的な、平凡なものとしてサトの目に映るようになりました。それなのに今日は、見慣れた大きなバナナの木の下で思わず足を止め、上を見上げ、そしてバナナがこれほどまで美しいものだったのかとため息を吐きます。

―平凡であるうえ美しいということ! それは非凡であることよりはるかに難しいことではないか!

これまで感じたことのない深い衝動にしばし恍惚としていたサトは、はっとして顔を下ろします。そうだ、ぜひともこの憎らしい紫色のチョウチョをザウリに渡さなくちゃ! バナナの香りを振り切るようにサトは木々の間をくぐりぬけ、果樹園の主を捜します。普段ならわりかし簡単に、樹木の様子をチェックしているザウリを見つけることができるのですが、一体全体何があったやら果樹園のどこを捜しても、その隻眼のサムライ風の大男が見つかりません。もしや、今日に限って早めに果樹園周りを打ち切って山菜でもさがしに村を出て行ったのかも。そう思って踵を返した瞬間…!

サトが振り返ったちょうど目の前に見慣れない不恰好の低木があって、その下からいかめしい顔のサムライがにゅっと現れたからたまりません。さっきからあれほど必死になってさがしていたザウリが、とうとうサトの目の前に現れたと言うのに、サトは驚きのあまりきゃっとしりもちをついてしまって。その拍子に虫かごが地面に落ちてふたが空き、紫の宝石たちはひらひらと逃げ出してしまいました。

ザウリもザウリ。低木の茂みの中で何をしていたやら、頭の上、無造作に束ねた曲げの上まで葉っぱをかぶって、しばらく間の抜けた顔でサトを見つめた後、ようやくことの次第が飲み込めたと言う具合で顔中の筋肉を弛緩させ、ガハハと大笑いを始めました。

「ふふん、サトくん! 今日はいったいどう言ったご用件かな?」
言いながらザウリはそのたくましい腕を差し出して、サトが立ち上がるのを手伝ってくれました。チョウチョのことを言おうか、突然自分を脅かしてなんのつもりか詰問しようか、それともバナナのことをお世辞たらたらに褒めたてようか、サトの頭はパンクしそう。そうこうするうち彼女はザウリの片腕に小さな籠が乗っかっていること、そしてザウリがこの暑い中、普段と相も変らぬ着物姿で、おまけに手袋まではめていることに気がついて首を傾げました。

「あの、いったい何をされてたんですか?」
「よくぞ聞いてくれた! 実は…ブルーベリーを収穫していたのだよ」
ええ? とサトは自分の耳を疑います。ブルーベリーといえば秋も深まった頃に山に行けばいくらでも転がっているのに。なんでまた、果樹園の角でわざわざ…。そう考えながら彼女は、ブルーベリーの実こそ見たことがあれ、それがどんな風に木になっているのか、そればかりかブルーベリーが木になるということすら知らなかった自分に気がつき頬を赤らめました。

「じゃ、これがブルーベリーの木なんですね?」
さよう、と隻眼のサムライは上機嫌で続けます。趣味で植えているんだ、小さなかわいい花がたくさん咲くんだぞ、と彼はまるでブルーベリーの木を自分の子供か孫のように自慢します。
「剪定とかしないんですか? こんな七八方、やたらめったらに枝が伸びてしまって、不恰好じゃないですか」
「それなんだな」
ザウリは呆れたように肩をすくめ、頭をかきむしり葉っぱを落としました。
「去年まではちゃんと手入れをしてきれいに刈りそろえていたんだが、枝を切るとその再生に全栄養分を使い果たすらしくて、実がほとんどならないんだ。で、今年は切らずに思い切って野放しにしておいたら、たっぷり実がなってな。ま、エネルギー保存の法則ってところだ!」

どーだ、良いことを言ったろう! と言わんばかりのしたり顔で笑うザウリ。

―虫を見せると喜びのあまり小躍りするゴンベもそうだけど、どうしてこのはな村の人たちはこうも感情に素直で、そのうえ予測不可能なほど特異な性格の持ち主ばかりなんだろう! それも、しょぼしょぼお目目のいじらしい顔のゴンベがはしゃぐならまだかろうじて納得がいくもの、時代劇に出てきそうないかつい顔に、片目に眼帯までしている「いかにも」な風のザウリがふざける姿は、あまりにサトの理解の域を超えていて。サトは感嘆と呆れのあまり言葉がでません。 

それにしても。ザウリが「たっぷり実がなって」と言ったブルーベリーの木は、青々とした葉っぱが茂っているだけで、到底実がたっぷりなっているなんて想像もつきません。ザウリがほとんどすべて摘み取ってしまったのか、それとも彼はまた冗談をいっているのか。サトは慎重に構えます。

「サトくんはブルーベリーがどんな風になるのかご存知かな? え、知らない? ふふん、それじゃあ見せてご覧ぜよう。その前に、痛い思いをしたくなければ、その袖はおろすこったね」
どういうことなんだろう、不思議に思いつつも、ブルーベリーがどんな風になるのか知りたくて仕方がなくなってきたサトは、ザウリに言われるがままに七分袖を下ろして、頭のバンダナもきれいに結わいなおします。

「よし、じゃあ、入っておいで」
「えっ…」
一瞬間、疑いの気持ちが胸を占領しつつも、それはとうとうサトにザウリについてブルーベリーの低木の茂みにもぐりこむ勇気を後押しすることとなりました。躊躇いの気持ちすらすっかりなくなって、サトは実をかがめ、大男のあとをついてブルーベリーの木の下に入ります。ザウリだけでも狭いぐらいなのに、2人で大挙してはさすがのブルーベリーもみしみしと小さなうめき声を上げました。

「見上げてごらん」
ザウリの声に、頭にまといつく小枝を払いのけ、サトは顔を上に向けます。―そして! そこに広がっていたのはバナナの大木の下よりもっともっと不思議で幻想的な美しい世界でした。狭い狭い小枝のアーチ。

天を隠すようにいく層にも覆いかぶさった透かし紙のような浅緑の葉っぱ。こずえを通って日の光が、後光のように降り注ぎます。葉という葉の下で紫紺色の真珠がきらきらと輝きます。それがブルーベリーの実であることに気がついて。サトは驚愕のあまり息を潜めます。よく見ると、枝の一本が葡萄の房のように細かく枝分かれして、その先端すべてに実がひとつずつぶら下がっているのです。外から見たのでは全然気がつかなかったブルーベリーの実。それは葉っぱという外観がそれを大切に守っていたから。中にもぐりこんでみたら、まるで見た目とは違う、神秘的な世界が広まっていたのです。

「視点を変えるだけで、これだけ世の中違って見えるものだ。面白いだろう」

そういうオレも、つい最近このことに気がついてな。誰かに教えたくてうずうずしていたのだよ。だけどリコリスは植物と話すのに夢中だし、リュイとマオは熱くなっててジャマできないし、キリクとハヤテはこの枝を押し倒して喰っちまいそうだし…ふふん! とまた自分の言葉とジョークに陶酔するように笑うザウリの声を聞きながら、サトもくすくす笑い出します。

―外見と中身が一致していないのはザウリもこのブルーベリーの木も同じ。外ばっかり見てそれがその人の本性なんだと決め付けることがどれだけ偏狭な考え方であるか! 紫色のチョウチョが逃げてしまってザウリのお使いは棒に振ってしまったけれど。その風変わりな果樹園の主から人生の教訓めいたものを教わってサトはすっかりすがすがしい気持ちになりました。

それにこんなに長い間ザウリと一緒にいたのも初めて。先入観を捨てて、ザウリの心のブルーベリーをたっぷり堪能したのも今日が初めて。満足してふっと顔を下ろし、ザウリに「ありがとうございます!」と言おうとした…その瞬間。

いかにも毒々しい物体が目に映ります。それはまるでアワビのようにうねうねとして、薄茶色で、おまけに緑色の突起のようなものがにょきにょきと突き出していて…! けたたましい悲鳴とともにサトが悶絶するのをザウリはがっしりとした両腕で受け止めます。気絶した牧場主ごしに彼女の意識を奪った小さな怪物を優しい瞳で見つめ、彼はにんまり笑います。

「これは、だな。イラガの幼虫だよ、サトくん。強烈な毒を持っているから注意が必要だな。…だから、袖を下ろしておくよう言ったのだよ」
彼は落ち着き払って、サトを抱いたままブルーベリーの茂みから這い出します。
「…美しいものはその内に毒とトゲをも含有するのだよ」

苦味を帯びた遠く懐かしい思い出を噛み潰すかのようにぶつぶつと大きな口の中で独りごちながら、ザウリは病院へと急ぐのでした。

ザウリの創作とかよくない?書いてみたいぜ、ザウリ創作!と変化球魂を燃やした梅雨のある日。 そして2ヵ月越しの念願が叶い、ザウリさん創作を書くことが出来ました!ふふん♪ 庭に植えてあるブルーベリーの実を収穫しているときに思いついたお話です。見方を変えれば世の中ガラっと変わって見える!口で言うのは簡単ですがなかなかと実感がわかず、実行にも移せないのが世の不条理というもの…。。


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