ぬくもり

牧草と干し草のさっぱりとしたいい香りの漂う牧草地の柵の近くで芦毛の愛馬を止めると彼女はカバンを開けます。
「えーと、おつかいの品物は…」
せっせと荷物を確認しているうち、彼女の手がはたと止まります。見る見るうちに顔が青ざめていきます。うわっ、しまった、またやってしまった! 慌ててカバンのふたを閉め、愛馬の背中に座り直し回れ右しようと手綱をひいたとき。
「やあサトちゃん、いらっしゃい。元気そうでなにより、なによりだ!」
くぐもった甘く柔らかい声、ふんわりやんわり心に届く低い声、快活なうえにおっとりとした調子の声に呼び止められ、さすがの彼女も振り返らずにはいられませんでした。
「シナモンも、膝の怪我、すっかり治ったみたいだね」
「グラニーさんのお薬のおかげです! あの時は本当にありがとうございました!」
放牧地にひょっこり姿をみせた声の主は動物屋の亭主。彼女がこの村に来る途中、軽快に蹄を鳴らして山道を駆けていた彼女の愛馬シナモンはとつぜん茂みからとびでてきたキツネに驚きつまづいて膝を痛めてしまいました。傷ついたシナモンを手当てしてくれたのがまさにその動物屋の亭主、彼の愛娘ラズベリーいわく動物の病気や治療薬に関してはそこそこ詳しいというグラニーでした。 そしてなるほど彼の妙薬のお陰でシナモンの怪我はあっという間に治ってしまったのです。

「いやいやお礼なんて、困った時はお互いさまじゃないか」
にこにこと陽気に笑うグラニーに彼女は言葉を詰まらせます。そうです! 彼のその言葉に知らんぷりしようと思っていたあのことをすっかり思い出してしまったのです!
「あの…グラニーさん! …ごめんなさい、私、つい、うっかり間違えちゃって…その、うめとあんずを…すぐ…採ってきますから!」
「うん? ああ、おつかいのことだね、掲示板見てくれたのかい、ありがとう! ハハ、まあ気にするなって。いつだって大丈夫だから。さあさあ、元気出して! シナモンだって心配そうな顔してるじゃないか」


グラニーにさよならを言うと半ば逃げるように大急ぎで山の中に引き返します。うっかり屋でおっちょこちょいの自分。ついこの前だってミントとカモミールを、チビハゼとチビフナを間違えたばかりだというのに。今度はうめとあんずを間違えるなんて! おつかいメモのどこをどう読み間違えるとうめがあんずになってしまうのか、聞けるものなら自分の脳みそに聞いてみたいものです。
「だって…見た目がそっくりなんだもん!」
カバンの中からあんずをとりだしバカバカしくなります。色も形も大きさも、うめとあんず、どこがそっくりなんだろう!
「おバカさん!」
ぴょんと馬の背中からとびおります。そして大切な白馬を近くの木につなぐと彼女は草の上に大の字に横になりました。

そそっかしいのは今に始まったことではありません。この村に越してくるずっとずっと前から彼女はどこか間が抜けたところがあって。そしてうっかりをしでかすたびに彼女のパパは頭から牛のように角を生やして彼女を叱りつけ、戒めたものでした。―律義で完全主義のパパはいつも私のことを心配して怒鳴ってばかりで。そのたびに次はしっかりしよう! と思っても、のど元過ぎれば熱さ忘れるとはこのこと、その固い決心も次の瞬間木っ端みじんに吹き飛んで、そうしてまたパパに叱られて。呆れられて。ああ、でも、このどうしようもない性格じゃ無理もないこと、みじめな私! その上誰からも慰めてもらえなくて…。

そんななかこのブルーベルの村に越してきて。新しい生活に胸ときめかせつつもこの自分の悪癖のせいで少なからず不安や戸惑いを隠しきれなかった彼女を優しく受け入れてくれた村人たち。そのなかでもグラニーは格別の存在でした。


シェ・グラニーの立派なサラブレットたちとどっこいどっこいな背丈の太ったお父さん。馬のシルエットをあしらった温かそうなセーターを着て、大きなお腹に巻かれた薄緑の清潔なエプロンはいつも干し草と燕麦のやさしい香り、そしてそのポケットには愛馬たちのおやつにと角砂糖やクッキーがたっぷりつまっています。馬たちをお手入れする大きな手の平は温かく、体のわりに細く短い指はとてもしなやかで、その手が体に触れるとどんな馬でも目を細めて満足げに口元を震わすほど。濃く深い赤茶色をした彼の髪は、彼の丸い頭を覆って耳の横できちんと刈りそろえられ、前髪は広い額をやんわりと覆い、後ろ髪は肩にかかる程度に軽くまとめられ、そして頭の上にはふわふわのフエルトでできた蜜柑色のベレー帽がちょこんとのっていました。愛馬たちを見守る黒い両の目は大きなだんご鼻の上で茶目っ気たっぷりにキラキラと輝いて、その上を太く大きな赤茶色の眉が覆っていました。だんご鼻の下できちんと手入れされた茶褐色の立派な口髭に隠れた口元は、彼の楽天的で大胆な性格に似合わず上品で、彼が彼特有の調子で笑って見せるたび、申し訳程度にいたずらっぽくゆがみます。明るい性格のグラニーはまた、下品な笑いを浮かべるほど無骨な男ではありませんでした。

割腹の良いシェ・グラニーのオーナーは、そそっかしい彼女のことを一言も咎めたり叱ったりしませんでした―それは彼女がよその娘だからという配慮と遠慮がゆえに違いありません。でもそればかりか、彼は彼女がたびたびおっちょこちょこいをしても呆れるそぶりすら見せず、大丈夫だよと言わんばかりに眉間にしわを寄せ、にこにこと笑いながら「気にしない気にしない!」と呪文のように唱えて彼女のことを赦してくれるのでした。

「あの人、私のことそうやってバカにしてるのかしら?」
真っ青な空にもくもくと膨れた白い雲を見ながら彼女は悔しくなります。悔しさ、恥ずかしさ、そして申し訳なさ。消極的な気持ちが彼女の胸の中でもくもくと膨れます。きっと目を細めると、その悲しさの雲からしたたった涙がポロリとこぼれおちます。怒るなら怒ってほしい、私のパパみたいにビシっと―あの柔和な笑顔が怒り心頭した鬼の顔を隠しているのだとしたら、仮面でごまかさないで本当の素顔で私を叱ってほしいのに…なんて。

そのとたん、涙で汚れた顔をシナモンがのぞきこみ、ねっとりした舌べろでぺろぺろとなめまわしました。とたんに、はたと気付きます…グラニーに叱られたいなんて、仮に彼から本気で叱られたら自分はきっと今以上に落ち込むにきまっている! 本当の私の気持ちはどっち? このまま、彼のあの大きなお腹に抱かれるように彼の寛容に身を任せて、申し訳なく思いながらも自分の欠点を叱られない安穏をむさぼりたいのか、それともあの優しい赤の他人からガツンと雷いっぱつ落としてもらいたいのか。…。

「ふふ、シーちゃん。あんたにまでなめられちゃ、私もおしまいね」
クスっと笑って体を起こします。さっきからずっと手に握っていた恥さらしの果実を愛馬の鼻先に差し出すと、シナモンはかっぷりその甘酸っぱい果物にかじりつきました。

「さあ、悲しいことはシーちゃんが食べてくれたし! 全部、一からやりなおしだわ」


森の中を駆けまわってカバンにうめの実をたっぷりつめて村に戻るころにはもうあたりはすっかり暗くなっていました。街灯すらないブルーベル村の暗がりに、家々の窓からもれた淡く温かい橙色の光がぽつぽつと浮かびあがって見えます。シナモンを牧場に戻して村に引き返すと、彼女はシェ・グラニーの扉を軽く叩きました。

「おや、サトちゃん。いいタイミングに来たね」
いまちょうど、ボージョレヌーヴォを開けたところなんだよ、グラニーが居間に通してくれます。
「あの…グラニーさん! 今度こそ、うめの実、ちゃんと持ってきました」
カバンを開けてうめの実を手渡すと、グラニーの返事すら待たずに彼女は続けます。
「ホント、いつも、いっつも、そそっかしくてごめんなさい…そのぅ、もし目に余るようなら叱ってくれていいんです、しっかりしろって、それじゃダメだぞって、…そう言ってくれたほうが私、私…」
「サトちゃん、落ち着いて」
胸に片手を押し当て嘆いている彼女の肩にそっと温かい手をのせてグラニーは首を振りました。

「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできないってね、世の中なかなか思い通りにいかないこともあるけど、でもそれを馬のせいにして叱るなんてオレにはできっこないよ。それに…」
彼女を椅子に座らせ、動物屋のオーナーはワインのビンをとってグラスに注ぐと、それを上品に口に含ませます。
「…それに、ワインもまた、ブドウによって、年によっていろいろな味が、個性がある。今年はどんな味かなって楽しみに飲むのが一番なんだ、たとえそれがとんでもなく酸っぱくてもね」
だからサトちゃんがオレの目に余るなんてゆめゆめ思わないよ、オレはいまの、ありのままのサトちゃんが大好きなんだから。

にこにこと微笑むグラニーを見上げ、彼女はわなわなと震えます。グラニーの言葉は彼女が待ち構えていたどの言葉にも当てはまりませんでした。そればかりか叱られているわけでも怒鳴られているわけでもないのに、むかしパパに怒られた時よりずっとずっと強く痛く彼女の胸は突き動かされていました。そしてさっきまで胸の内に立ち込めていた悔しい気持ち、恥ずかしい気持ちがとうとう大きな夕立ちを降らせ、とたんにさわやかな風が吹いてきて、彼女のもやもやをきれいさっぱり吹き飛ばしてしまいました。…きっと、グラニーの言葉は今までちょうだいしてきたどんなお小言よりも効き目がある、ゆっくり顔を上げて、グラニーのくりくりの黒の瞳と目を合わせると彼女はにっこり笑い、大きくうなずきました。

「それにしてもラズベリーは馬小屋でなにやってんだかなぁ…」
サトちゃんも来てくれたことだし、あのじゃじゃ馬を連れに行ってくるよ、ワインでも飲んでくつろいでておくれ、そう言ってグラニーは大きなお腹を持て余すように彼女の椅子の後ろを不器用に横切って居間から出ていきました。太った動物屋のオーナーを見送りながら彼女は独りごちます。

「あんなすてきなパパを持って、ラズベリーのぜいたく者ッ!」
なんてね、ふふっと笑って彼女はワインのビンに手を伸ばしかけ、…ふと思いとどまり照れたように首を振ると、思い切ってグラニーの飲みかけのグラスをぐいと引きよせ、今年初めて作られたばかりのそのワインを、すっかり心機一転したすがすがしい胸の内に勢いよく流し込みました。

ふたご村処女作。…がめでたくグラニー創作になりました。グラニーさんの渋さ加減と天然がホントに大好きです♪しかし。。実際にゲームでおつかいの「うめ」と「あんず」を読み間違え、それにもかかわらずグラニーさんが眉間にしわを寄せて「いいよいいよ〜」な感じににこにこ笑っていたのがあまりに印象的で;なんていいおっちゃんなんだ!とほれぼれでした。。
グラニーさんの声はオペラ歌手のベルント・ヴァイクルのそれっぽいものを想定です←


inserted by FC2 system