『ぺんぎんのおんがえし』

冬のある晴れた午後。特にこれといった目的もなく、ほのかな太陽の微笑みにつられて裏山に散歩に出かけたピートは、この村一の働き者で郵便屋さんのハリスとばったり出会いました。そこでこの若い牧場長は帽子をぬぎ、良き親友であり良きライバルであるまじめな青年に深々と頭を下げました。細面にぽっちゃりした体格のハリスは短い両足を踏ん張って軽く身をかがめ、ピートに微笑み応えます。そして2人は申し合わせたように仲良く肩を並べ歩き始めました。

「どうもこう、昨日までたんと雪が降ってくれたおかげで僕の畑は壊滅的な状態ですよ」
ピートが皮肉たっぷりに白い息を吐き出すとハリスも眉間に少ししわを寄せて眉を吊り上げました。
「雪は空からの便りといいましてね、おかげさまで僕のお仕事もすっかり奪われてしまいましたよ」
2人はハハっと陽気に笑って懐の寒さを吹き飛ばすと、お互いゆっくりとアイコンタクトをとります―せっかくお会いしたことですし、あそこに行きますか―ああ、そうとも。僕らの心を温めてくれる黒髪のマリアさまのところへ。


2人が村はずれの図書館の前に差し掛かると、その趣深い建物のガラス窓がぎいっと開いて黒縁めがねの少女が頭を出しました。
「まあお二人ともおそろいで。ねぇ、ちょっとよろしくて? おやつにしませんこと?」

マリーの作ってくれたブラウニーを囲み3人の談笑が始まります。マグカップからはホットチョコの甘い湯気。その香りにピートもハリスもすっかり大満足で、今日はなにか特別な日に違いないと声をそろえて言いました。―確かに、今日は冬の感謝祭。そのことはマリーはもちろん、ピートもハリスもよくよく知っています。しかしあえてそれを口にしない所に、三人は恋人たちのロマンシズムを感じ、それをじっくりと味わうのをなによりの楽しみとしていました―そう、ちょうど、マグカップの中の温かいチョコレートを口に含め、舌の先でゆったりとかき混ぜて楽しむように!
「ところでマリー、そこにおいてある小さな本はなんだい?」
「あらさすがピートさん、目ざといのね」ふふっと悪戯っぽく笑うと、マリーはピートの指差した一冊の薄いノートに手を添えます。「いま新しいお話を書いているの。…でもどうも行き詰ってしまって」
「そいつはこのブラウニー以上のプレゼントだ、ぜひ読んで聞かせてくださいよ。そうしたら僕らもなにか手助けができるかもしれない」
「まあ、郵便屋さんまで。あなたたち、いけない人ね! …わかったわ、2人から意見が聞けたら私、きっとこれを書ききることができるかもしれないから」
そこでマリーは小さく咳払いをすると、落ち着いた調子でゆっくりと読み始めました。

『ある寒い寒い国に小さな村があって、仲良しの姉妹が暮らしていました。お姉さんはそれはそれは美しい娘で村中の若者という若者が彼女を恋慕していました。妹さんは童顔で愛くるしい目をしていましたが、決して美人ではありませんでした。2人のお父さんとお母さんはずっと前に死んでしまって、姉妹は湖で魚を釣って、それを売ってお金を稼いでいました。

それは芯まで凍りつきそうなぐらいに寒い朝。2人がいつものように湖に行きますと、そこはもうすっかり分厚い氷で覆われていました。
「氷に穴をあけなくては」
お姉さんが道具をとりに帰ろうとしたときです。
「ねえ、姉さん、あそこになにかいますわ! あら、ぺんぎんさんよ。可哀想に、割れた氷に挟まって動けなくなってるみたい、私、ちょっと行って助けてまいりますわ」
妹さんがお姉さんの袖をひっぱります。
「ぺんぎんなんてほっておきなさいよ、そもそも売れたもんじゃないし、あら、あんな遠くにいるのね。あそこにいくまでにあんたが怪我をしてしまうわ」
でも心優しい妹さんはお姉さんが止めるのも聞かずにもう氷の上を滑り始めていました。

ぺんぎんは、きっともう長いこと、氷の間に挟まれてそこから必死で抜け出ようとがんばっていたのでしょう。すっかり疲れきって、妹さんが近づいても身動きひとつしないで悲しそうな目で彼女を見上げるのみです。
「もう少しの辛抱よ、そうしたら自由になるわ」
妹さんはそっとぺんぎんの羽の下に手を入れて、その可哀想なぺんぎんを氷の割れ目から引き抜いてあげました。
「おあつらえね、氷に穴をあける必要がなくなったわ!」
ぺんぎんがおどおどとした足取りで湖の奥に帰っていくのを見届けると、姉妹はぺんぎんが挟まっていた氷の割れ目に釣り糸を垂れて何匹か魚を釣って家に帰りました。

その日の夜は猛吹雪になりました。暖炉に火を焚いて、姉妹は仲良くおしゃべりをしながら編み物をしていました。すると、どうしたことでしょう、何者かが家の扉をたたく音がします。
「誰でしょう、こんな吹雪の中…私、見に行ってきますわ」
「よしなさい、とんだ空耳だこと、あれは風の音に違いないわ」
お姉さんがぴしゃりと言うと、妹さんもうなずいて上げかけた腰を落ち着かせ編み物を続けます。でもやっぱり音の主を知りたくてなりません、一分もしないうちにそれをわきにのけると立ち上がり窓から外を見やりました。
「いやだ、姉さん、外に誰かいるみたい!」
扉を開けると、そこでは黒いツヤツヤのコートを羽織った子供顔の小さな青年が寒さに体をふるっていました。彼は足の短い、ひどく体の肥えた醜い風貌の青年でした。髪は短くきれいに刈りそろえられ、その小さな頭には帽子一つかぶらないで、平坦な頬は青白く光り、そしてすっかり青ざめた唇はつんと前に突き出されていました。彼は黒い瞳であわれっぽく妹さんを見上げ、どうかこの吹雪の夜、床にごろ寝でかまわないので一夜の宿をかしてもらえないか、とすきとおった高いボーイソプラノで懇願しました。人が好い妹さんは、その哀れな青年を門前払いになんかできっこありません。まあまあ、こんな寒い中、帽子もかぶらないで…とその太った青年を家の中に招き入れました。

「よしてちょうだい、どこの馬の骨とも知らぬ男よ!」
お姉さんは青年を見るや奇声をあげました。
「それもよりによってそんな…はっきりいうけど、なんでそんなちんちくりんが迷い込んでくるのよ!」
「あら姉さん、口を慎みなさいな、それはあんまりにも失礼だわ。彼をごらんなさいよ、あんなにふるってしまって…。姉さんは嫌でも私は彼をほってなんかおけなくってよ」
「それなら…あんたの部屋に彼ごと連れ込んでくださいな。その醜い姿が再度私の目に触れたら、すぐにでもそのおデブさんをつまみだしてしまうから!」

妹さんはそこで青年を自分の部屋に連れて行くと、ストーブを焚いて彼を温かく介抱してあげました。夕飯のスープの残りをわけてあげると、青年は黒い眼をきらきらさせて喜ぶのでした。―それにしても、その瞳にはどことなく見覚えがあって、妹さんは首をかしげました。でも、きっと思い違いだろうと頭をふってにっこり笑います。
「姉さんのことを許してあげてちょうだいな、いつもああして強がりを言うのですから。…さあ、今日はもう遅いですし、あなたはすっかり疲れきっている、そこのソファをお使いなさい。お布団は、これを」
「そんな…こんなにやさしくしていただいて。さむいのはへいき、こおりのうえでも、ぼくはだいじょうぶなぐらいなのに」
まあ、御冗談を! 妹さんは無邪気に笑って見せます。そしてその醜い青年も唇をつきだしたまま、無垢の微笑みを浮かべました。

さて、翌朝、妹さんが起きてみますとそこに青年の姿がありません! まあ、いやだ、どうしたのかしら! 不思議に思って外に出てみますと…なんとそこにあの青年が、あのずんぐり太った青年がもう背筋をしゃんと張って立っていて、しかも彼の足もとには上等な小魚がたっぷり、積まれていたのです。
「あなたはぼくにほんとうにやさしくしてくれた、だから、どうかおんがえしさせてください。ぼくにできることはこんなことぐらいだけど、よろこんでもらえますか?」
「まあ、かわいい坊や! そのお魚はあなたが捕ってきたの? どうしたらそんなたくさん…!」
妹さんから話を聞き、お姉さんはしぶしぶ青年の手柄を称えました。そして、妹の部屋から出さないことを条件に、青年の同居を認めたのです。
「そんならぼくはまいあさ、さかなをとりにいくよ。だけどぼくがさかなをとりにいくのをおいかけちゃいけないよ、ぼくはとってもはやおきなんだから。まだくさもきもねむっているさむいなか、さかなをとりにいくんだから」
青年は唇を突き出して、透きとおったボーイソプラノで言いました。

青年の捕ってくる魚は、村の朝市で飛ぶように売れ、姉妹はすっかり生活に不自由しないようになりました。2人が瞬く間に大金持ちになったという噂を聞きつけるや否や、いよいよ村中の若者がすがるように美人のお姉さんにプロポーズを迫るようになりました。ところが妹さんが、童顔の太った青年に熱心になっているという噂も一緒に広まりました、するとあんなにお姉さんに熱を上げていた若者たちはいっぺんに落胆して声をそろえて言うのです。―不憫な娘さんだ、でもあんな気狂いの妹さんがいては僕らもどうも近づきにくい。

太った青年がいるせいで結婚がおぼつかないと悟ったお姉さんは、どうにかしてその忌々しいおデブさんを家から追い出そうと考えるようになりました。
「ねえ、あなた。もう家はすっかり裕福になったわ。これ以上、あの青年の手を借りなくてもなんとでもなりましてよ。だからそろそろあの素晴らしく醜い生き物に暇をあげましょうよ」
「ああ、姉さん、どうかそんなむごたらしいこと言わないで、こんなにも長い間私たちの家でせっせと働いてくれたあの子を突然追い出すなんてあんまり!」
「じゃあ、向こうから去らせればいいじゃない。ほら、あの約束、だいたいおかしくない? あんな木偶の坊がどこからあんなにたくさんの良質な魚を捕まえてくるやら…ええ、そうですとも。摩訶不思議とはこのこと、私、いままでもずっとあやしく思っていたんだけど、いよいよその秘密を暴いてやりたくなってきた」
「でも、姉さん! 人には誰にだって一つや二つ、秘密にしておきたいことぐらいありましてよ、それに、たしかに彼はおデブちゃんで見た目はそりゃぁとてもとても好男子とはいえませんわ。でも彼の心は氷のように透明で一点の曇りもないの、目は心の鏡と言うでしょう、彼のあの目をごらんなさいな。あの子、私たちがなぜ魚で喜ぶのかすら知らないで、私たちの喜ぶ顔だけを見たい一心でああして寒い中尽くしてくれているのですよ。ですからどうか、約束を破って、あの子のあの純真な心をたたき割るようなことをするのは…」
「まあ呆れた! そんなにあの青年が好きなら、あんたたちはあんたたちで結婚してここを出て行ってちょうだい! あんたはあの醜い生き物ばっかり愛して、私の幸せなんかこれっぽっちも望んでくれないのね!」
この言葉に妹さんはとうとう黙り込んでしまいました。そしてあくる日、2人は青年よりずっとずっと早く起きて、魚を捕りに行こうと家を後にした青年を追いかけて湖まで走って行きました。

ところがどこに行ったのか、湖に青年の姿はなくて…そこでは一羽の黒いぺんぎんが優雅に水をかきながら魚を追いかけては捕まえているのです。―…まさか! 恐ろしい予感に背筋が凍りつき姉妹が雪の上に立ちすくんでいると、あの青年が水面から姿を現し悲しそうな目で姉妹を見上げました。
「とうとう…あなたがたはやくそくをやぶってしまった…ぼくは、ずうっとまえに、このみずうみでこおりにはさまってうごけなくなっているところをたすけてもらった、あのぺんぎんです。あなたのやさしいこころづかいにすっかりむねうたれて、ぼくはあなたがたにせいいっぱいおんがえしをしてきました。…でも、あなたがたはやくそくをやぶってしまった、ぼくはもうにんげんのすがたをすることはできません」
そう言うと青年は、泣き崩れる妹さんにやさしくさようならを言ってまわれ右し、よたよたと体をゆすりながら湖の奥へ帰ってゆきました』

「ねえ待った、マリー。それでは妹さんがあんまりだよ。彼女は最後の最後まで青年の胸の内、心の純粋な美しさを愛していた。外見にとらわれずに、物事の内面に最大の価値を置いていた。でもお姉さんは実利主義でかつ物事のうわべしかみてない。それなら最後に大どんでん返しを持たせるべきだよ。お姉さんと妹さん、どっちの人格が清らかで英雄的かといえば、そりゃあもちろん妹さんだろう」

「いや、僕はむしろそのままでよいと思うけれどね。確かにその終わりかたでは聴き手として胸糞の悪さは残る。でも話自体はきわめて現実的で飲み込みやすい。青年、つまり、自然界のぺんぎんは、人間世界の慾であるとか、不条理の中では生きてゆくことはできないんだ。妹さんは確かにきわめて理想的な存在だ、でも彼女も結局はお姉さんを捨ててぺんぎんと駆け落ちすることを拒んでしまった。妹さんもしょせん、人間的な感情から抜け出すことができなくて、そこがどうも僕には妹さんの悲劇の根源に思われるし、加えて報われない妹の姿はより濃く、鮮明に、理不尽な人間社会を描いているように思う」

2人の聴衆は食らいつくようにマリーに提案します。マリーはじっと黙って2人の意見をきいていましたが、とうとう深いため息をついて首を振りました。
「そうなの、私が行き詰っているのはつまりそこ…妹さんを理想化しようか現実の世界にとどめておこうかというところ」
乾いた喉にもうすっかり冷たくなってしまったホットチョコを流し込んでマリーはそっと目を閉じます。
―そして私自身、こうして理想と現実の狭間に立たされてしまった。ピートとハリスの意見は真っ向から対立している、さあ、私はいったいどちらの殿方をとるべきなのでしょう?

―答えはもう少し待って。せめて春の感謝祭まで。きっと私の理想と現実は2人揃って、私にすてきなプレゼントをしてくれるはず。その時には必ずや、私はどちらかをとることに決めるわ―

ぐっと喉を流れるチョコは、ざらざらとした苦味を舌の上に残してマリーの小さな胸の内にすとんと落ちてゆきました。

「氷の間にはさまったぺんぎんを助けたらそのよる人間に化けたぺんぎんさんが恩返しに来る」という話を書きたい!と思い立ったが吉日。童話作家のマリーの筆を借りまして実行に移しましたです(べつにオリジナルで書けばよかったのですが;)ツルや白鳥なら美しい人間に化けそうなもんですが、ぺんぎんではどう考えても動き鈍そうなずんぐりむっくりの太っちょが来そうなもので…(苦笑)そこらへんが世というのか自然の不条理でありますことです。


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