レモンの風

牧場の鶏がけたたましくコケコッコーッ! 忙しい一日の始まりです。清潔なブルーのワンピースに袖をとおし、ひらひらの白いエプロンを腰に巻きつけ、癖のない茶色の髪を櫛で丁寧にすけばお客さんを迎える準備はバッチリ。鏡に向かって「いらっしゃいませ!」と明るく微笑んであいさつの練習をすると、彼女は厨房に走って行きました。厨房の中はもうケーキの甘い香りでいっぱいです。ケーキ屋さんの仕事はすっかり板についていますが、それでもガマンしないとうっかり焼きたてのケーキを味見しちゃいそうです。今もちょうどイチゴタルトが焼きあがったところ、アルミのおおきなテーブルの上で甘酸っぱい湯気を立てている宝石色のケーキをなるべく見ないようにして、彼女は厨房の若きベテランコック、ジェフにちょこんと頭をさげました。

「おはよう、エリィちゃん。さっそくで申し訳ないんだけど、店の準備をしてもらえるかな? チーズケーキが焼きあがったら僕も行くから」
ちょっと頬を赤らめて、はいっと返事をして、エリィはくるりと回れ右しました。

ショーウィンドと店内のテーブルをきれいに拭いて、床を箒ではいて、それからテーブルにチェックのテーブルクロスをかけます。季節の花―今はムーンドロップ草です―がいけてある花瓶の水をとりかえます。せっせと店の準備を整えながらエリィは小さく笑みを浮かべました。今日こそは新しく考えたハーブティをコックに飲んでもらおう、ブレンド内容もいいし自分なりにとても気に入っているからもしかするとメニューに加えてくれるかもしれない。こんなことをするのは初めてだからとってもドキドキしていますがぐっと息をのんで心を決めます。

「さっ、できたっと。今日はなんだかとっても調子がいいな」
こっそり独りごちて、エリィはずれたエプロンを元に戻しました。

朝ごはんのとき、彼女は思い切ってジェフに水を向けてみます。
「あの…、ちょっといいですか。…新しいハーブティのブレンドを考えてみたんです」
緊張気味のエリィを安心させるような朗らかな笑みを浮かべ、彼は大きくうなずきました。
「いれてごらん、とっても興味があるよ」

ハーブポットのなかが薄いさくら色にそまっていきます。ほろ苦く、そして心を癒すようなうっとりとした香りが漂います。
「レモングラスだね」
「はい! それからラベンダーにローズヒップ」
うん、確かに悪くないね。そうジェフは言うと、ポットの中身をティーカップに注ぎます。硬直するエリィの前で、そっとその淡い色のお茶をすすり、彼は小さくうなずきました。

「後味がとても奥深い…、さすが君がブレンドしただけあるね。…でもまだ店内にはおけないな」
きゅっとエプロンの端を両手でつかんで、エリィはうなだれました。
「ごめんなさい、まだ私が半人前だから」
いやいや。とジェフは小さく首を振ります。
「僕はこれぐらいがちょうどいいのだけれど、これでは味が薄いという人も多いと思うんだ。もともとラベンダーもレモングラスも控えめな味と言ってしまえばそれまでだから、このブレンドでお客さんの舌を満足させるのは僕でも難しいよ。でも効能はかなりのものを期待できるし、もうひと工夫できればずいぶん変わってくると思う」

ありがとうございます、エリィの顔にはやっと笑顔が戻っていました。そしてジェフにすすめられ、オリジナルブレンドのハーブティをついでもらい喉に流し込みます。

言われてみれば確かにかなり薄い…。しばらく口に含んでいると、じんわり独特の風味が広がってくるのだけれど、その前にのみこんでしまったら白湯を飲んでいるのと変わりないぐらいに薄い。これではお客さんを満足させるなんて到底できません。どうして今まで気がつかなかったのかしら、そう思いながら彼女の心は少しばかり沈んでいました。

本当に満足させたいのはお客さんではなくてジェフなんじゃないか、そんな思いが突如胸の中に広まってきます。彼はいつだって優しく自分をサポートしてくれます。働き始めたばかりで仕事に不慣れな頃は、失敗ばかり繰り返す自分を彼は「失敗は成功の母!」と言いながら慰め励ましてくれました。今でこそケーキを焼くのもお茶を入れるのも、店の経営すべてがとてもうまくこなせるようになりましたが、それだって全部彼のおかげなのです。いつでも優しく見守り、ドジばかりの自分を激励してくれた、彼のおかげなのです。そんな彼をいつでも手本にして尊敬してきたつもりだったけれど…。

「そ…そんなに思いつめなくていいんだよ」
すっかり思考がストップしてしまった自分の顔を、ジェフが心配げに覗き込んできました。ご、ごめんなさい。違うんです、ハーブティのことではないんです。そう口の中で言ってエリィは顔を伏せてしまいます。彼女の様子がおかしいことを悟って…、ジェフはそっと腰を上げ、棚に並んだハーブのビンから「ミント」のラベルが貼られたものをとりました。

「年末年始のあわただしさで疲れてしまったのかもしれないね。これを入れればリフレッシュ効果も強化されるだろうから、試してごらん」

ミントを加えると、あいまいだった味が引き締まります。恐る恐る口に含んでみて、エリィははっと目を見開きます。すっと胸が軽くなって、すがすがしい空気が重い頭に流れ込みます。魔法にかけられたように、気持ちも楽になっていきます。顔をあげて、こわごわエリィの反応を見守っていたジェフと目を合わせます。無言のままうなずいて、にっこり笑うと彼女はぐっとティーを飲みほしました。

「どうしてジェフには全部がわかるんですか? どうして私のハーブティに足りてないものが、すぐにわかってしまうのですか?」
すっかり心の中がリフレッシュするとエリィは自然と素直に聞きたいことを口にだせるようになっていました。再び肘掛椅子に腰を落ち着かせ、ジェフは肩をすくめてみせます。
「全くの偶然さ。ラベンダーにミントが合うことはそれとなく知っていたけれど、自信はまるでなかった。でも君の満足そうな顔を見る限りではどうやら僕の勘は当たっていたようだね」
はい、そう心の中で思って、また無邪気な笑みを浮かべます。

「ごめんなさい、私、本当はお客さんより誰より、ジェフを満足させたかったように思うんです。でも…やっぱりうまくいかなくって。また助言をいただいてしまいました」
頬をバラ色に染めながらエリィはお茶をカップについでジェフにすすめます。
「でもどうかお飲みになってください」

ありがとう、そうやさしい笑みを浮かべるとジェフはティーカップを引きよせ、清涼感漂うオリジナルブレンドティをそっと喉に流し込みました。

牧物カップリング祭に寄稿した牧物2のジェフとエリィのお話。作中に出てくるハーブティは実際に思いついたブレンドです。それにしてもエリィは牧物2にしてもミネ仲にしても「職場結婚」なんですね…。


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