午後の恋人

聖杯騎士のけがれなき愚か者が光陰のごとく聖域に現れ美しい白鳥を弓矢で射とめてしまったように、その金髪少女もある日こつぜんとこのミネラルタウンにやってきて純白の白衣に身を包んだドクターの胸に矢を放ちました。可哀相にエリィという名のつがいと飛ぶ力を失ったドクターは、その新参者の乙女の足元にぐったりと倒れこんでしまったのです。

彼女の名前はクレア。町長のトーマスの空しい謳い文句に躍らされ町の最南端の荒れ放題の牧場を継ぐためわざわざ都会から越してきたというまさに純粋な愚か者。そのうえ自分がだまされたと知るや否やオノとクワとカマとハンマーにジョウロを5つの腕のように操り町長に襲い掛かったという伝説さえ持つ厄介者。そのくせ結局は荒れ放題の牧場を自分の居城に構え、その庭園にカブやらジャガイモやら彩豊かな野菜の妖精を呼び寄せ今や町一番の果報者にまで上り詰めた楽天家、まあつまりはまったく不敵な乙女なのです。

そしてある日その最強少女は健康最優良児であるにも関わらずミネラル医院に乗り込んできました。

問題は確かにドクターの側にもありました。朝起きてご飯を食べて、それぞれの持ち場について仕事をして、そして夕方医院を閉めて夕飯を食べて寝る…エリィとの結婚生活にすっかり慣れてしまったその医師は、そんなマンネリ化した日々にちょっとした刺激が欲しいと思っていたのです。黄金色の髪をなびかせ診察室に飛び込んできたクレアは、退屈していたドクターの格好の暇つぶしの対象と思われたのですが…それにしてはクレアはあまりに過ぎた女で、そしてドクターも必要以上にクレアに新薬をすすめたり思案中の健康グッズを渡したりと遊び過ぎてしまったのです。

ドクターの遊び心を脈ありと勘違いしたクレアはその底抜けに明るい性格を武器にドクターにぐいぐいつめより、とうとうドクターの遊び心を封じ込め、その無防備医師をめためたにしてしまったのです。

そういうわけで。エリィという奥さんと壁一枚挟んで仕事をしているドクターはすっかりクレアという少女に心を腐らせていました。まさしくこの部屋は壁一枚で地獄、もしクレアといるところをエリィに目撃されたら…もしクレアと付き合っていることをエリィに知られてしまったら。貞節を貫いているつもりの自分の立場がまずい。それ以前に大人しく見えて本当は恐ろしいエリィに町が沈没するぐらいの雷を喰らいかねません。

いやそれだけではありません、天然乙女のクレアに奥さんの存在を知られたら医者と言えど取り返しのつかない大怪我をおいかねません。広告の文句に自分がだまされていることを知っただけで町の一町長に凶器で殴りかかった彼女のことです。この手の問題でまた自分がだまされていたと知ったら…地下基地からミサイルでも発射するか秘密基地から戦車でミネラル医院に乗り込んでくるかも知れません。それとも空から人工衛星が降ってくるかも…とにかくドクターの立場は最悪でした。

カルテをめくっていたドクターはふと手を止め難しい考え事でもするかのように顔をしかめました。頭の中をよぎるのは難解な方程式や枚挙に暇ない病名に万単位の薬の種類…ではなく! 勿論クレアの顔。いやいやと首を振って金髪乙女の面影を振り払おうとしたとき…。

「あらあらドクターさん、厳しい顔して! 奥さんに見つかったら大変ですよ」
「でも彼女のことを考えると僕は涙を禁じえないのだよ」

ついポロリと言ってしまって、はっと我に帰ればそこには診察に来たのか暇つぶしに来たのか饒舌なワイナリーの女主人の顔!
「あっ、いやいやいや、彼女ってのはつまりエリィのことで! 違う違う! クレアくんのことなんかじゃないよ、断じて!! クレアくんのことなんかじゃ!」
井戸端会議にもってこいの話題を我がものにしたマナは意気揚々とローズ広場へと駆けて行きました。

文字通り悪事は千里を行くもの、「ドクターの浮気説」はマナ病原菌によって半日もしないうちに町中にばらまかれ広まってゆきました。そしてそれはとうとうエリィの耳にも届きそうなところまで来てしまったのです。


すっかり不利な立場に立たされたドクターはおずおずとクレアを呼びよせました。この状態を切り抜けるには彼女との関係を打ち消すような態度、つまりは自分たちが「医者と患者」との関係でしかなく、自分がクレアに浮気しているというのはマナの勝手な思い込みだということを芝居でもいいのでエリィの前で証明するほかありません。そうやって窮地を乗り切った後にゆっくりクレアに真実を打ち明けよう、その際になるべく、ミサイルや戦車を発動されないようにクレアの納得のいく説明の文句を考えればいい、いまはとりあえず時間稼ぎだ。

「いいかい、可愛い小バトちゃん」ドクターはクレアの御機嫌をとるため山葡萄酒をすすめながら言います。「君はここでは病める小バトだよね? 看護師さんが来たらどこが悪いか僕に教えてくれるね?」
「あら、あたりまえじゃない〜!」クレアは頬を赤くしながら笑いました。「ここじゃ私は恋患いに苦しむ小バト!」
違う! と脳内ツッコミをかますドクターの手から葡萄酒を奪いクレアはすっかり上機嫌で続けます。
「さ、どんどん飲みましょう! ひと思いにいっちゃうのよ! 飲んで飲んで飲んで! 唄って唄って唄って! すべてを忘れちゃうのよ〜!」
「頼むよ、クレアくん! 僕にはもうエリィという…」
「あらいいじゃない、そんなの〜! 飲んで飲んで唄って唄って! …て、え?」

しまった! と震えるドクターの瞳にクレアの動揺した顔が映ります。ところがドクターの予想に反してそのけがれなき愚かな乙女は破顔しました。
「いやだ〜ドクターったら! そのエリィって人、怖いの? きっとあんたのことぶつのね、ほらほら、もうぶたれたって顔してるわ! んもう、さすがは私が見染めた隅に置けない男だわ! 分かった。そのエリィが来たら私が万事うまく言いくるめてあげるって、気にしなくて大丈夫なのよ! さあ、どんどん飲みましょう! ひと思いにいっちゃうのよ!」

言うなりクレアはくるくると金色の髪を巻き上げ、リュックから古臭い帽子を引っ張り出しかぶると、タオルで顔をごしごししてメイクを落とし始めました。呆気にとられるドクター、彼の耳に待合室からなにやらご婦人同士の話声、よく聞けば「ドクター浮気説」を持ちこんだリリアとエリィの喧騒です。そのうちわっと泣き崩れる声がしてあたりが鎮まりかえったかと思うと、つかつかと靴の音。

「クレアくん! どうか、後生だから僕の言うことを…」
ガチャリ! と診察室のドアが開いて涙で顔をぐしゃぐしゃにしたエリィが怒り心頭の面持ちでドクターに迫ります。
「あなたっ! これは一体どういうことなの!」
「おっと、どういうこととはどういうことかな?」
髪を隠してメイクを落としたクレアが美男子顔負けの澄まし顔でドクターの肩に腕をやり、くいっと葡萄酒をひっかけました。

「僕がドクターの恋人なわけないじゃないか、僕はドクターさまの信頼を得るため、いまは仕事中なんだ!」

もはやいったい何をしたかったのか…;「仕事中」でどうするとここまで話が発展してしまうやら。。クレアさんは男装していったいドクターとなにをしでかすつもりなんだか。。自分で書いておいて責任持てない作品でありますことです;


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