お菓子の織り成す恋のシンフォニー

一番鶏が声高らかに朝を告げると、クレアはベッドから跳ね起きました。冬の寒い朝。でもほんのりと暖かい太陽の淡い光が南向きの牧場をやさしく包み込んでいます。牛小屋に走ってミルクをしぼって、鶏小屋に急いで産みたての玉子を失敬します。今日は年に一度の感謝祭! 昨日のうちに買っておいたチョコレートが早く早くと冷蔵庫の中で叫んでいます。かじかむ指に息を吹きかけ吹きかけ、クレアはミルクと玉子を持って台所に飛び込みました。

ケーキを作っている間もずっと、優しい彼の面影が頭に浮かんで消えません。働き者で家族思いの彼。義理と人情に厚く、責任感の強い分ちょっぴり頑固なところもあるけれど、頼りがいのある養鶏所の長男。都会から越して来たクレアを大歓迎してくれたお隣さんで、そして牧場仕事をあれこれ教えてくれた大先輩。彼がいなければ、荒れ果てた畑を開墾して立派な大牧場を築くことはできなかったでしょう。馬や鶏、牛に羊、たくさんの家畜を飼っても、どうしてよいかわからなくなっていたことでしょう。彼はいつでも「ご近所さんだしね」とクレアを手伝ったり助けたりしてくれます。

でもクレアからすれば、家が近い遠いなんて関係ありません。「ご近所」なんて義理は捨てて、知人とか友だちという垣根を乗り越えて、私の牧場に遊びに来てくれないかしら。隣り合わせの柵越しではなく、柵を乗り越えたこの牧場の中で、なんの隔たりもなく私に接してくれないかしら。

…でもまだまだ私は半人前。彼から見ればひよっこにちょっと羽が生えたぐらいの牧場主でしかないんだろうな、だから彼に立派だって認めてもらうためにはもっともっと牧場仕事に精を出さなくちゃ、そしていつか私から、私たちを隔てる大きくて高い垣根を乗り越えて、彼の優しい胸に飛び込んでみせるんだから!

ふんわりしたメレンゲを卵黄と一緒に砂糖、バターと混ぜます。
「玉子さんいらっしゃい! こうしてみんなひとまとまりよ!」
白い殻に閉じこもっていた純真な白身が殻を脱ぎ捨て想いのありったけ膨れ上がって無邪気な黄身と混ざり合い、甘い砂糖としょっぱいバターに出会います。そこに熱々にとろけたビターなチョコレートを入れて、じっくりオーブンで焼けばケーキの出来上がり。それはまるでお菓子作りの織り成す恋のシンフォニー!

乙女の殻を脱ぎ捨てた無垢の恋心は、青年の面影を残す君と出会い、甘くも塩辛いねっとりした思いをくぐりぬけ、黒い渋みも経験しながら、情熱の炎で時間をかけてゆっくりと固まっていきます。最後に降り注ぐアイシングの祝福が2人の愛をやさしく抱きしめれば、立派な、立派な感謝祭ケーキのできあがり!


焼きたてのケーキを持って養鶏場に急ぎます。早起きのリックは鶏小屋の仕事が済むとすぐに、朝のお使いで雑貨屋さんに行ってしまうのです。そしてその雑貨屋で、幼馴染のカレンから感謝祭のケーキを受け取るに決まっている、なんとか恋敵を制して彼に思いを伝えなくては!

「リック、おはよう!」
「やあおはよう、クレアさん」
「ゴローは今日も元気?」
大柄でクリーム色の鶏を抱いたままリックは振り向き、にっこり笑いました。
「元気だよ、それにしてもさすがだなぁ、クレアさんは! 僕のうちの鶏の名前、ちゃんと覚えててくれたんだ」
ゴローを地面に下ろしてリックはありがとう、とうなずきます。

鶏はみんな同じに見えるけど、よくみると全然違うんだよ、いつか彼はクレアに教えてくれました。いえいえ、よくみなくても、鶏たちはそれぞれ全然違って見えます。とさかの大きさ、色形、羽根の模様、それに目つきも! でもそれも、リックがクレアに養鶏を勧めてくれてはじめて気がついたこと。都会のオフィスでスーツを着てあくせく働くだけの生活を送っていたら、鶏に千差万別あるなんて知る必要もなかったでしょう。都会では人間でさえ、個性を黒い衣服に隠して誰もがみんな他の人とまったく同じように働かなくてはならないのですから!

「ね、リック。今日、感謝祭でしょ? これ、受け取って欲しいな」
思い切ってクレアは鶏の柵を飛び越えリックにプレゼントを渡します。
「僕に?!」
「うん! リックにはいつもお世話になっているから、でも…」
「でも…? クレアさん、君は本気かい? だって僕ときたらこんな鶏狂いでしかないんだよ?!」
「でもね! 私、家族思いでそして鶏思いのリックが大好きなの! 家業をここまで責任持って切り盛りして、病気のリリア小母さんや妹のポプリちゃんにも献身的に尽くして。私には守ってあげる家族がいなかった…守ってくれる家族も。ここに越してくる前までにはね。だから…この町に来てはじめのうちはリリアさんやポプリちゃんや、それに鶏たちがうらやましくて、ちょっぴり嫉妬もしてた。でもリックが養鶏を勧めてくれて、初めてここで家畜という家族を持った時に、嫉妬は一瞬で羨望に変わったわ。それ以来リックは私の憧れなの。牧場主としてこれまで頑張ってこれたのもリックのおかげだし、リックのような動物思いの牧場主になるのが私の夢なんだから。それでいつか夢が叶って私もリックに認めてもらえたら、リックの家族に迎えられるかもしれない、そうしたらどんなに幸せだろう、なんていままでずぅっと思ってきた」

養鶏場の柵を乗り越えた勇気にすっかり我を忘れてまくしたてるクレア、彼女の言葉に、リックは胸の奥が強く突き動かされるのを感じました。これまで家族と鶏たちに注いできた想いとはまったく違う得体の知れない感覚ががっしりと心を掴み、前後の見境もなくなってしまいそう…。どう返事をしてよいやら言葉が見つからず、リックが言いよどんでいるうちに、クレアははっと我に返って頭を振りました。

「…ごめん、なんかとんでもないこと言っちゃった」
その…、とクレアも当惑してうつむき言葉をさぐります。2人の足元では、人懐っこいゴローがなにかを語りかけるようにリックとクレアを見上げています。ゴローの声が聞こえたような気がして、クレアはきまり悪そうにうつむいたまま続けます。
「玉子って大切な存在ね、小麦粉と砂糖にバターだけではふんわりした甘いケーキは焼けないもの。こっそり生地に身を隠してそっとケーキを支えてるのが玉子。どこにいるのか分からないのに、それがなくちゃ全体が崩れてしまう存在。リックもきっと、玉子と一緒。でしゃばらず、謙虚に、それなのにしっかりと、家族というケーキを、家業というケーキを支えてくれているの!」
「クレアさん、ならば。…もし僕をクレアさんのケーキにつかってください、なんてお願いしたらそれはあまりに図々しいかな?」
「えっ…」
一瞬自分の耳を疑いクレアは思わず顔をあげて目を見開きます。そこではいつも以上に真剣な表情でリックが答えを待っていて。事の口火を切ったのは確かに自分のはずなのに、一番大切なところに来て気まずさ、言いようのない恥ずかしさが体を襲います。でもそれを制するようにリックに認めてもらえた、そんな確信と歓喜がどっと押し寄せ、クレアはリックの両手を握り締めると「ううん」と首を横にふります。そして度量の広く頼もしい青年の腕の中に身を投げ、藁と干し草のほのかな香りのするリックの胸にそっと顔をうずめるのでした。

リック兄さんのお話!リック兄さんはちょっぴりガンコだけど頼れるお兄ちゃん。私自身ひとりっこなのでリック兄ちゃんには妬きっぱなしです。ともあれ、お菓子つくりにかかすことのできない卵、その卵を産む鶏のお世話をしているリック兄さんの存在価値はなんと偉大なことでしょう。彼がいなくては実は感謝祭へのプレゼントもままならぬといまさらになって気がついた次第です。。


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