羊のリーベストラウム

まずは生クリームを湯せんで温めて…。新しいキッチンでチョコトリュフを作りながらクレアはふふっと顔をゆがめます。おいしくできるといいな、これは私が初めてバレンタインズデーに作るチョコレート。義理チョコとか友チョコとかじゃなくて、私の本命にプレゼントする正真正銘の大切なチョコレート。温まった生クリームにクーヴェルチュールを落とします。チョコレートの温度が高くなり過ぎないように気をつけながら、滑らかに手を動かしてナベのなかをかき混ぜます。ふんわりと甘く良い香り!

ミネラルタウンに来てまず立ち寄ったのが病院でした。とかく病気がちの自分だからいざというときに駆けこめるようお医者様と親交を深めておくつもりだったのです。でもその親交は少しもしないうちに友だちの域を超えてしまって…クレアは彼の魅力にすっかり憑かれてしまいました。

冷静沈着な黒の瞳、色白で端正な顔立ち。清廉潔白で丁重な性格はいかにもお医者様、けれども彼はその奥に熱く燃える本心を隠していて。クレアが病気になるとつきっきりで看病してくれたりもして。牧場長のくせに病弱なクレアにいろいろなアドバイスをしてくれて。診察中もおしゃべり中も、彼は本当に親身になってクレアと接してくれました。小さな町の開業医で患者が少ないというのもあるのかもしれませんが、彼のような親切で優しくて、そして頼れるお医者様はクレアが前にいた都会には一人もいません。

「この町の人は本当に健康的でいいね。この大自然を前にしては病気も形無しなのかな?」

初めて会ったときに彼はこう言って笑っていました。…彼はお金儲けより町の人の健康最優先なのです。いままでいろんな病気をしていろんな病院にかかっていろんなお医者様に診てもらったことがあるクレアにはよく分かります。医者の鑑のような彼、彼のような医者がいかに希少だってこと! そのことに気がついた時にはもう、ドクターはクレアにとって単なる「主治医」ではなくなっていました。


大好きな彼に想いを馳せながらチョコレートを作っていると心も甘くとろけそうです。羊のリーベちゃんみたいに半分は夢の世界。ドクターを追いかけて雲のうえを走っているみたい。ふわふわ気持ちのいい追いかけっこ。でもいつまでも夢の世界に浸っているわけにはいきません。なんたってクレアには彼をめぐって恋のライバルがいるのです。

職場恋愛とはまさにこのこと、そのライバルとは病院の看護師エリィ。真面目で頑張り屋の看護師さんです。ライバルとはいえクレアとは大の仲良し、よく待合室でドクターのことを褒めたりからかったりけなしたり、恋人たちが照れ隠しにするようにおしゃべりに花を咲かせては楽しむ仲です。とはいってもやっぱり恋敵は恋敵、楽しいおしゃべりも熾烈なシーソーゲームと紙一重。エリィが下に見えれば極楽娯楽! 逆にエリィが上にいるときにはクレアは焦って青息吐息。少しでも気を抜くわけにはいきません。

甘美な夢をじんわりとかみしめながら、程よくとけたチョコをおナベから下ろして冷まします。チョコレートがマヨネーズぐらいの固さになったらスプーンですくってラップに乗せて。
「私、本当に気合入ってるわ」すっかり楽しくなって独りごとを言います。「こんなに慎重にトリュフ作ったことなんて今まで一度もないもん!」
ふんふんと鼻歌も混じります。大切な人を想う気持ちはきっとチョコに宿る、だから甘く、そしてちょっぴり苦い恋の歌! トリュフをラップに包んで丸めて、粉砂糖やココアをまぶします。できたトリュフを格子の入った箱に入れます。仕上げに桃色のリボンで箱を飾って完成! 立派なバレンタインのチョコレートが出来上がりました。

眠たそうな羊のリーベにひと声あいさつをしてブラッシュをかけると、クレアはミネラル医院に向かいます。雪の積もった外路地はまるで雲の上のよう。病院へ向かう足取りも軽やかです。ワイナリーを通り過ぎて、図書館の角を曲がれば病院はすぐそこ。雑貨屋の前では養鶏場のリックがカレンからチョコレートをうけとって喜んでいます。2人に軽く会釈して手を振り、クレアは勇み勇んで病院にとびこみました。

シンとした待合室。電気ストーブがソファの近くに置いてあります。温かい院内の空気にほっと息をつきながら診察室に向かいます。でもドクターの姿はありませんでした、待合室に引き返したクレアはソファに腰掛け荷物の中からチョコトリュフの箱をとりだします。思えばこれ、今日早起きして作ったな、ドクター、喜んでくれるかしら? ふふっと笑ったとたんどっと疲れが押し寄せてきます。

初めての本格的なチョコレート作り。大切な人を想って作った思い入れたっぷりのチョコレート。どうやら知らず知らずのうちにドクターを想いすぎて気疲れしちゃったみたい、そこに早起きがたたって、うとうととまどろみます。

「クレアくん…? 大丈夫かい?」
突然聞き覚えのある温かい声にクレアははっと顔を上げます。どれぐらい眠っていたのでしょう、そこには外出から戻って来たドクターが身をかがめて立っていました。ドクターは風邪ひくと大変だから、と白衣を脱いでクレアにかけます。華奢なクレアの体にはひとまわりもふたまわりも大きな白衣。でもそれはほんのり温かくそして優しく体を包んでくれます。
「あの…これ、ドクターに」
じんわりと痺れた頭を懸命にはたからせてトリュフをドクターの手に渡します。僕にかい? 突然の贈り物にどぎまぎしながら律儀な医師はそれをうけとり、しばし物思いにふけるようにその場に硬直して。そして彼はクレアの横に腰をおろし、そっと金色の髪の少女をかき抱き目をつぶります。クレアはびくっと体を震わせ、しかし再度ゆっくり目を閉じて彼との間に生まれた甘美な親近感に身を任せると、とろりとろりとまどろむのでした。

ドククレお題「うたた寝」。早起きしてお菓子作るとたいてい昼間に眠くなってしまいます。気がついたらドクターが心配してくれたらなんと幸せvなんて思いつつ書きましたです。リーベストラウムとは「愛の夢」v


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