スノー・イズ・ダンシング

時計の針とにらめっこをしながらクレアは顔をゆがめた。

―今日は冬の感謝祭だってあんなに言ったのに!―
「ま、今はほとんど仕事がない私が言えた義理じゃないけど」ふふふ、と苦笑して深呼吸する。「それに夜遅いほうがロマンチックよね」


夕方からちらつき始めた雪は一向にやむ気配がない。そればかりか時折強い風に吹かれて小さな吹雪をつくる。そして月明かりのとどかない、暗いくらい街路地の空気の中を、ちらちらと白い妖精が踊っている。
―雪が踊っている―
街灯の明かりを頼りに暗い夜道を急ぎ足で牧場に向かっていた彼はふと空をみあげた。
―The Snow is dancing―

「これでは医者の不養生だな…」
小さいころに読んだファンタジー小説にでてきたようなドラゴンが吐くように、まっしろの息を吐いた。そして、思い出したようにふと顔を下ろし、走り出す。妖精の踊りに導かれるように…。

「おかえり、ドクター」
にこりと微笑んでクレアは雪のように純白の白衣に身を包んだ夫を迎えた。
「寒かったでしょう、朝はあんなに晴れていたのに。私ね、カサを持っていかなくちゃって思ったの。でも、…ほかの事に夢中になっちゃっててすっかり忘れちゃった」
タオルを渡しながら、クレアは甘えるように言った。そんな彼女の表情を、仕方がないな、とでも言いたげな目で見つめながらドクターは耳鼻鏡をはずし、タオルで髪をふく。彼の白衣から滴るしずくを目で追いながらクレアははっとした。
「ね、これであなたが風邪をひいちゃったら私のせいかしら?」
「大丈夫だよ、昔、同じように寒い冬の日に雪に降られたことがあったけれど、平気だったからね」
「でも…。あなたが倒れちゃったら町中の人が困るわ」
そこまで言って、クレアは微笑む。珍しく、そんな彼女に無邪気に微笑み返しドクターは小さくうなずいた。

夕食を終え、二人は暖炉の前に腰を下ろす。クレアは半日かけて作ったブランデーならぬ、山ぶどう酒入りのチョコレートをドクターの手に握らせる。
「ドクターが興味なくても、今日は私にとって大切な日なのよ」
いたずらっぽく言うと、ドクターは一瞬あっけにとられて目を見開いた。
「感謝祭のチョコレート」
「ああ」彼の口元に小さな笑みが浮かんだ。「ありがとう」
一口サイズの小さなチョコを口に入れ、彼はじっと、その甘く、そしてほろ苦い味を独り楽しんだ。
「オクシモロンだ、甘くて苦い…」そっと独り言を言って笑うと、彼はクレアを傍らへ抱き寄せた。「さっき、病院からここに来る途中で雪が踊っていたよ、すごくなつかしかった」
「なぜ?」
「ちょうど十年かそこら前、僕が本命校に向かう途中も、雪が降っていた」
クレアはびくっとしてかすかに肩を震わせた。ドクターは医者だから、大学、それも医大を出ていて当然だ、いつもそう思っていたけれど、実際に本人の口からその言葉がでるとなぜか身構えてしまう。そんな自分が恥ずかしくて頬が熱くなるのを感じた。

「前に一度話したことがあったか、僕の家系は代々医者で、父さんももちろん医者だったし母さんは看護師だった。二人とも僕が育った都会の大きな病院でせわしく働いていて、ほとんど僕にかまっちゃくれなかったよ。そして僕自身も知らず知らずのうちに医学の道を志していた。父さんはとても優しくてそして厳しくて、なにより患者さんにとっても好かれていたから、父さんと同じ大学に行って父さんみたいな医者になりたいって、小さい頃から思っていたのをよく覚えている。でも。試験の日、朝は快晴だったのに、突然雪が降ってきて、会場についたときには僕以外の人もみなずぶ濡れだった。おまけに、会場は凍てつくように寒くて、かじかむ指を必死で暖めて鉛筆を握ったけれど、僕は一時限目から振るわなくてすっかり取り乱してしまった」
「あなたが? 信じられない」
クレアが叫ぶとドクターは首を横に振った。
「僕は案外臆病な人間だからね。結果発表を見に行くのもすごく勇気がいったよ。意を決して家を出たまではよくても、心の中でずっと引き返したい引き返したいと思っていて、生きた心地すらしなかった。だけど、どういうわけか、まるで見えない糸に引かれるように、僕の足は会場に向かっていて、だんだん速度を増していって…」
そこまで言って彼は止めた。
「どうなったの?」クレアは言いかけたがそれをぐっとこらえ「後は想像にお任せってことね」 「いや、実を言えば信じられなかった。目の前に映った数字に見覚えがあったからね、幾度目をこすったことか」
やっぱり、安心したように微笑んでクレアは自分でもチョコをひとつつまんで口に押し込んだ。
「本当、甘くて苦いわ」
自分でも笑いそうになって彼女はまた赤面した。

「ねぇ、ドクター。私も、一応、都会生まれだし、狭き門は通ってきたの。だから、ドクターの気持ち、なんとなくわかるわ。でもどうしてもわからないことがあるの」
「さあ、何かな?」
「あなたの名前よ! 出願書類とか試験用紙に、どんな気持ちで書いていたのかなって」
とたんにドクターは噴出した。しかし、しばらくして真剣な表情を装いすました様子で続けた。
「誇り高々、自分は生まれながらにして医者なんだ、という我が身の運命を感じながら書いたともさ」
「運命ですって? まあ、ドクター! そんなこと…」
はは、と彼は陽気に笑った。
「もっとも、そんな特別な思いはしなかったよ。ほら、スミスさんとか、ライトさんとか、一般にありふれているからね。ドクターも、あって然りだと思っていたさ」
確かに…。言われてみればそれもそうだと納得しながら、クレアはこの生真面目な夫にからかわれてしまったことを悔やんだ。
「本当におどけ者なんだから」
ドクターはまた笑った。そして後ろを振り返り、窓から外を見る。外ではまだ妖精たちのダンスパーティが続いているらしい。

彼は小さくうなだれて目をつむった。受験勉強で疲れたとき、唯一彼の心身を癒してくれたのは音楽だった。十数年前に何度も聴いたあの曲が、突然よみがえって彼の胸の中で共鳴する。


―雪が踊っている…僕のお気に入りの曲だよ―

いい加減たってから、彼はそっと呟いた。

ドククレ結婚後の感謝祭のお話。大学受験が終わった記念日に書いただけあって、2人の話題はドクターの受験生時代について(苦笑)意外とドクターは上がり症だったりしたら見た目とミスマッチでいいな、なんて…なんて…(すみません;)


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