いたずら

年に一度の牛祭で、ローズ広場は賑わっていた。栄えある牝牛たちをぐるりととりかこみ、村人たちは互いに牛を指差して、あの牛が優勝だ、とかあの牛は気品のある顔立ちをしている、とかと言っては陽気に笑い合っている。当の牛たちはどっかりと地面に腰をおろしたまま、口をもぐもぐさせたり、間延びした声で唸り声をあげたりして、周囲の雑音なぞ蚊帳の外の様子であった。
「やぁ、神父様。今年もいらっしゃったのですか」
村はずれの牧場を経営するピート少年も牛祭を満喫していた。
「ええ。牛を見ていますと何となく心が和むものでしてね。毎年楽しみにしているのですよ」

神父様―村の最北端に位置する小さな教会の神父、カーターはおっとりした声で微笑んだ。ピートも牧場の仕事で疲れた心身を癒すため、幾度となく教会に足を運んでは彼のお世話になっている。
「昨年はありがとうございました。僕のグリーリーが優勝したのも神父様のお祈りのお陰ですよ」
そう、ちょうど昨年、愛牛グリーリーでこのお祭に初めて参加したピートを、神父は広場の片隅で祈りながら応援してくれていた。
「今年はあいにく、グリーリーは身ごもっておりまして。もう1頭のローリエもまだ子牛なもので参加はできなかったのですが。改めて観客の立場から見てみますと、本当にどの牛も手入れが行き届いていて美しい、それに可愛らしいですね」
「まったくですね」
カーターは小さく背伸びしてうなずく。
「愛情込めて育てた牛たちがこうやって晴れ舞台に立つのをみるのは、飼い主さんにしてみればさぞ喜ばしいことでしょう。もっとも、私のように牛なぞ手も触れたことがない者が偉そうにこんなことを言うのもなんですが」

ピートはふと思い出す。神父様はここに来る前までずっと都会でアパート住まいをしていたそうだ。自然とは程遠い都会。布教をするにも教会一つなく、人々はせわしく働くばかりで耳を貸そうともしない。狭苦しい部屋で毎晩のように神に祈りを捧げるのも心苦しくてならず、とうとうある晩、ぼやが起こったのをきっかけに彼はこの村に越してきた。そして当時は教会すらなかったこの村で、彼は新たに活動を始めた。もともと信仰心の強い人々が多かったのも手伝い、彼の評判は村中に広まった。お祈りや懺悔にくる人々が後を絶えず、苦しんでいるのは都会の人だけではなかったのだと痛感した。そしてこの村のように大自然のぬくもりに守られ、ストレスから解放された人々でさえも、神の課された試練に立ち向かわなければならない運命を背負っているのだ、と改めて実感したという。

ピートが物を言おうと口を開きかけたとき、カーターはほっと溜息をついた。
「私の夢は牛にもたれて寝ることなんですよ。こう、麦藁帽子を頭にかけてね」
いいですね、本当に夢のような話ですね、言いながらピートは目を瞑る。ぼうっと視界がかすみ、いっせいに牛や村人が姿を消したかと思うと、彼の前には厖大な牧草地が広がっていた。そして、ずうっと遠くに、グリーリーの体に身を任せたカーターが気持ちよさそうに船をこいでいるのが見えた。その様はまるで子供が描いたスケッチ画のように愛らしくて、心をいっぺんに和ませてしまうように平和でほのぼとしていて…。

しかし、不意に牛の唸り声がしてピートの瞑想はかき消された。ピートは見慣れたローズ広場に立っていた。たった今自分が見た風景とは似ても似つかない、現実の世界。それにしても、今自分が見た風景はなんとも美しいものだったのだろう! ピートが黙って下を向き、あれこれ考えていると、
「どうしました? ご気分が悪いのでしょうか」
カーターが心配そうに顔色を窺っている。ピートは首をふって何でもありませんよ、と答える。
「ただ、神父様の言葉がとても印象的で」
そのとたん、ぽっとカーターの頬が紅潮した。そして普段の柔和な笑みを浮かべ、私の夢なんぞは、と呟く。物静かでおしとやかで、そして慈悲深い神父が照れるのを見るのは、今日が初めてであった。

よほど照れくさかったのでしょうね、申し訳ございません、神父様。心の中でそう謝るうち、ピートはちらりと、小さないたずらを思いついていた。


「そろそろピートが来るころだと思っていたの〜」
「ゆっくりしていくの〜」
お祭が終わり、ピートは教会裏にあるコロボックルの家を訪れた。妖精コロボックルたちははじけるようにお出迎え。さっそく紫の洋服に身をつつんだボルドーがお茶をすすめてくれた。
「ありがとう。今日はちょっとお願いがあるんだ」
きっと仕事なの〜、と妖精たちは口をそろえて叫ぶ。
「あのね」ピートはボルドーが差し出したお茶をすすった。「カーター神父なんだけど…」
身をかがめ、小さな妖精たちと目線を合わせ、七人全員に聞こえるようにゆっくり話す。ぐるりとピートを取り囲んだ妖精たちはとても興味深そうに身をのりだした。

ピートの話が終わると一同はニヤリと意味ありげな笑みを浮かべてうなずいた。
「かまわないの〜」
「ピートのお願いなら喜んでするの!」
「妖精と人間のいたずらなの〜」
口々にオーケイをだすコロボックルたちにピートはほっと胸をなでおろした。
「じゃあ、よろしくね」
一人一人の手を握って再度お願いし、ピートは大きく伸びをして妖精の家を後にした。

―妖精と人間のいたずら…か。いたずらなんて、何十年ぶりかな。まだこの村なんか知りもしない頃、よく近所のじいさんにいたずらしてたっけ。大人が慌てふためくのを見るのが大好きだったな、それゆえか、まわりからはいたずらチャンピオンの称号までもらっちまったけど…。ピートは童心にかえってわくわくしていた。

久しぶりのいたずら、元チャンピオンの名にかけて是非とも成功させてやろうじゃないか、こぶしをにぎり自分に誓うと、意気揚々、牧場に戻って行った。
「ドクター、大変なの〜」
「ピートが牧場でたおれているの〜」
「急ぐの〜」


翌朝、場違いの大声がミネラル医院に鳴り響いた。慌てて白衣を引っつかみ、階段をひとつとばしに下りてきた院長のドクターは、待合室で早く早くと跳ね回っていた三人の小人を見るなり段を踏み外し、すんでのところで逆に大怪我をするところだった。
「君たちはなんだね?」
眉をひそめて、疑わしげにコロボックルたちの顔を覗き込む。
「ボクたち、ピートのシヨウニンなの!」
「妖精のコロボックルなの〜」
「あいさつはいいとして、急がないといけないの〜」
やれやれ、最近仕事の疲れで幻覚まで見えるようになってしまったのか…。額に片手を押しやり、ドクターは頭を振った。
「ピートが牧場でたおれているの〜」
三人のコロボックルはいらだたしげに声をそろえて叫ぶと、ドクターの白衣のすそをひっぱった。


ドクターが嫌々ミネラル医院を後にするのを見届けた残りの四人のコロボックルは、「とつげき〜」と叫んで教会のお墓の中に飛び込んでいった。
「カーターしゃん、助けてなの〜」
日課のお墓参りをしていたカーターは、突如として静寂をかき乱され、怪訝な顔つきで声のするほうを振り向いた。そこでは四人のコロボックルがいじらしい顔をして自分を見上げていた。慌てて表情を緩めると、彼はゆっくり腰をかがめ首をかしげる。
「おやおや、森の聖霊とも呼ばれているあなた方が、神に仕える身であります私めに助けを求めるとはいったい何事でしょう?」
「ピートがたおれちゃったの」「それでニュウインすることになっちゃったの」「熱もあるの…」
「何ですって…?」
「だから食べものもっておみまいに行くの〜」

カーターは気を落ち着けようとゆっくり十字を切り、深呼吸した。 ―まさか。体力勝負では誰にも負けないピートがたおれるだなんて…。どうか何かの間違いでありますように…。
「支度をしてきますから、少しお待ちください」
「早く早くなの〜」
キャーキャーいいながらコロボックルたちは跳ね上がった。そんな彼らに急かされカーターは大急ぎで教会の中に引き返した。


「ドクター、ここからが大切なの」
走りながらボルドーが言った。
「ピートが牧場でたおれてるって言ったのは実はウソなの」
「何だって? 僕をからかうつもりか?」
「違うの〜からかうのはカーターしゃんなの」
コロボックルたちは口をそろえて即答。
「ピートはカーターさんになんとしてでも牛にもたれて眠ってもらいたいと思ってるの〜」
「それに都会暮らしだったカーターさんに牧場の仕事をさせたいとも思ってるの〜」
「だから今日一日お仕事をお願いすることになったの」
「なんとも強引な…。それで、それと僕と一体どんな関係があるのかな?」
「そこが大切なの」
「ドクターにはなんとしてもピートが重病を背負ったように演技して欲しいの」
「そうすればカーターしゃんは間違いなくパニックにおちいるの」
「そして牧場の仕事をピートに代わって私がやってあげましょう、と言うの」

やれやれ…。無理矢理つじつまを合わせようとしているにも関わらず筋は通っている。それにしてもピート君ともなる青年がこんないたずらを思いついただなんて…。いよいよ僕の理解の幅を超え始めているぞ。呆れながらドクターは溜息をついた。

「もうすぐ牧場なの」
「ドクターは乗り気じゃないの?」
「いたずらは嫌いなの?」
「いや…」
言いかけて、ドクターは閉口した。

いたずら…。家業を継ぐために来る日も来る日も勉強を強いられてきた彼が、本気でいたずらをしたことなぞ一度もなかったであろう。むしろ、真面目で勉強熱心な性格ゆえ彼はいつも周りから妬まれていた。よく鉛筆や消しゴムを隠されては笑われっぱなしであった。そんな嫌がらせにはほとほと困り果てていたわけだったが…。

でも、ピートのいたずらは決して悪意があるものではない、なにしろカーターを喜ばせるつもりなのだから。
(どうしてもっとまともな手段を選ばないのかな、この人たちは)
彼は苦笑した。
(だが、あの呑気な神父にはこのやり方が一番正しいのかも。それならば、僕もこのいたずらに便乗させてもらおう…)


ピートはドクターでも疑うほど見事に病人になりすましていた。そんなピートを病院まで連れて行き、ドクターはいかにもそれらしく診察を始めた。少しして、カーターとコロボックルたちが診療所に飛び込んできた。
「ピートさん、一体どうなさったのでしょう…」
枕元に駆けつけたカーターは、ひどくおろおろした口調でドクターに尋ねる。
「よく分からないんだ。熱があるのに脈も弱い。なにか食べものにでもあたったのかもしれないな」
「そういえば…」カーターの声にピートがうっすらと目を開く。「よせばいいのに、昨晩宿屋のランちゃんと生ガキを…」
「うーん、それはいけないな…」
もしそれが事実だとすればカルテを書き直さなければならないぞ、とドクターは本気で思った。
「ピートしゃん、牧場のお仕事はどうなってるの?」
突然ボルドーの声。
「ボクに任せるの!」
シェフネンが叫ぶ。
「ボクもやるの…」
臆病者のティミットも小声で言う。
「だめだよ、君たちだけではやりきれないよ…」
「大丈夫なの〜! ボクたちだけでなんとかするの!!」
声をそろえて健気に叫ぶコロボックルたち。熱にうなされ、苦しい声で彼らの申し出を断るピート。真面目くさってカルテをめくるドクター…。


―神よ、私に力を与えたもう…カーターは決心し、ピートの手をとった。

「ピートさん、私でよろしければ、あなたの代わりを…」
「そんなめっそうもない」
飛び起きようとするピートをカーターは押さえつける。
「いけません、無理をなさっては」
その声にドクターは驚いてカルテを落とした。そして落ち着こうとしてコホンとひとつ咳払いし、まるで宝石でも扱うかのように慎重にそれを拾い上げると、彼は諭すような目つきで言った。
「ピート君。本来ならば仕事ができなくても仕方がないところだ。ましてやカーターさんがお手伝いなさるとおっしゃっているのに君はそれを断っても平気なのかな?」
ピートは黙り、不安げにドクターとカーターを見やるとうなずいた。

「分かりました。それではお願いいたします」
「大丈夫なの〜! ボクたちがついてるの!」
「安心してお休みなの〜」
あいかわらず場違いともとれる奇声を発しながらコロボックルたちは跳ね回った。そしてカーターの手を引き診療所を後にすると、牧場に向かって一目散に走っていった。


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