クイーンマリーの城

至極疲れた様子でニンテンは部屋に入り、かぶっていた兜を脱いで一息ついた。今宵はハローウィン。町中の子供たちがお化けや怪物や魔女に扮装し、各家々のドアをたたいて「Trick or Treat!」と叫びながら、チョコやキャンディーをせびって歩く。一夜、その家の死者たちの魂が戻ってくると人々に信じられているのだ。

いろんなお化けは数々あるけれど、今年のニンテンのチョイスは「カッチュウ」。歴史の教科書からとびだしてきたような、中世の兵隊を手本にとった古めかしい風貌だ。つまりは、あの身の毛もよだつお化け屋敷で実際に目にした化け物の格好をしたにすぎなかった。それも、段ボールにアルミ箔を張っただけという、いかにも小学生らしい微笑ましい衣装である。がしかし、どうやらニンテンが初めてカッチュウに会ったときに感じた恐怖を、他の連中におみまいするのにその衣装は十分すぎた。各々のお化けに扮した友達のみんながみんな、おどろおどろしい「カッチュウ」の姿を見るや否や度肝をつぶして驚いた顔を思い出し、ニンテンはにんまりした。

扮装を解いてパジャマに着替えなおし、ニンテンはベッドに体をうずめる。でもすぐに体を起こし、ベッドの脇においてあるジャコランタンに灯をつけ、部屋の電気を消した。暗がりの中で不気味に浮かび上がるお化けカボチャ。数日前に妹たちが作ってくれたのだ。左右の眼はちぐはぐで、鼻を開け忘れたうえ、口もとの歪みも恐怖というよりは愛嬌をふりまいているようにしか見えず、お化けの集う夜に灯すにはなんとも心もとないランタンだけれど、こうして暗がりでながめるとなるほどそれなりに形になっている。それとも、妹たちの想いが宿っているからだろうか、ニンテンはぶきっちょなそのランプがすごく気に入っていた。

たくさんもらったお菓子は、その双子の妹たちに渡してきた、明日一緒に食べようね、と約束して。かわいらしい魔女のマントにくるまったミミーとミニーははちきれんばかりの笑顔で「うん!」と答えてくれたけれど、きっと今頃こっそり味見でもしてるんだろう、そう思うとまた口元がゆがむ。ニンテンは人一倍、妹思いのお兄ちゃんであった。

ふと、旅の大切な仲間たちがどんな「お化け」に変身したろうと思いをめぐらす。とりあえず、テディ兄貴はもうお菓子をもらう年齢ではなさそうだから、「フランケンシュタイン」の格好でもしてケンカ仲間とあのライブハウスで冷えたビールで乾杯でもしてるんだろう。「魔法」をつかえるアナは魔女になって箒にまたがり本当に空を飛んでいるかもしれない。そうしたらぼくのところに来てくれてもいいのに!

でもロイドはどうだろう? あのおとなしくて礼儀と節度をわきまえた分別のある天才少年。性格から察しても、あまり派手な扮装を好むタイプではなさそうだけれど、それにドラキュラという肌でも絶対になさそうだし。もしかすると、ぼくと同じようにあの冒険中に出くわしたモンスターの格好をしたかもしれない。SF好きだから文字通り宇宙人―スターマンが適任だ。銀のコートに身を包み、顔には原子力発電所で働く人がつけるようなシェルターをかぶって。さぞ、お似合いだろうに!


いろいろなことを考えているうちに、ほどよく瞼が重くなってきたのでニンテンはランタンの火を吹き消した。ぱっと部屋の中が真っ暗になる、カーテンの開いた窓から青白い月の光が差し込み、床の上に一筋のしみを映し出した。それを見つめながらニンテンはまどろむ。部屋の中も外も、ハローウィンの夜にふさわしいほど不気味に静まり返り、彼の眠りを妨げるものは何もないように…そう思われた。

しかし彼は同時に、どんな些細な物音でも知覚できるほどの覚醒状態にもあったらしい。少しして彼は驚くべき現象に、驚くべき再会に巻き込まれていくことになるのだ。

一つの、甘く細い声が、ニンテンの部屋を通り過ぎて行くように思われた。

はっと目を開き、彼は頭をもたげる。夢かうつつか、判然としないながらも、彼はさらに体を起こして耳をそばだてた。そうなのだ! ひとつの口がニンテンの耳のそばに近づき、そしてその目に見えぬ唇からあの懐かしい歌詞をのせた素敵なメロディを紡ぎだしていくのだ。

Take a melody,

Simple as can be,

Give it some words,

And sweet harmony.


その子守唄をニンテンは知っている…。えも言われぬ甘美さで、夢の国マジカントの女王、クイーンマリーが歌ってくれた歌である。まるでその声に揺さぶられるようにニンテンはわれを忘れ、ベッドの上に身を起こしたまま、その歌のメロディに、歌詞に、そして歌声に、すっかり陶酔している…。

Raise your voices,

All day long and, Love grows strong now,

Sing a melody of love, oh love.


やがてその歌声は、最後の章句とともにしだいに消えて行った―曲のもつやわらかで優しい響きとふるえを残しながら。

ニンテンは立ち上がり荒々しく息を吐きだした。しびれるような状態を無理やり振り払い、心に沁み入るその歌声のこだまをつかもうとする。あたりを突然、沈黙が支配した。

「あれはクイーンマリーの声…だ。ぼくのひいおばあちゃんの声だ」

まさか彼女が生きているわけがない。彼女は肉体も精神も、愛する夫の待つ天国へ向かったはずなのだ。がっくりとベッドに座り込むとニンテンはわれに返り首をふる。

「ぼくは眠っていたんだ…きっと夢を見ていたに違いない」

不思議な感覚が体を縛りつけニンテンはしばらくその状態でいた。―今宵はその家の死者たちの魂が帰る日―、まさかと思ってきたその言い伝えが、実は本当だったのではないか、そんな感情がふつふつと胸の内に沸き起こり、彼の心を乱す。それが本当であればぼくはまたクイーンマリーに会うことができる。そうしたら…。世界を救う力を授けてくださったマリーにお礼の言葉をかけてあげたい。さよならも言えずに別れてしまったマリーに…一声「ありがとう、そしてさようなら」と伝えたい。

―クイーンの歌をまた聴きたいな。たまにクイーンマリーはうなされてるんだ。悪い子を叱りつけるようなことを言って、怖い怖いと泣き叫ぶのさ。そして歌を歌い始めるんだ。ほんの少しだけ…―

Take a melody,

Simple as can be…


「クイーンマリー…!」

かっと目を見開き、ニンテンは唖然とする。彼の目線の先に、ぼんやりとしたひとつの形が浮かび上がってきた。その顔は次第に際立ってきたように思われた。


それは一人の女性であった。金色の髪を腰までたらし、落ち着いた桃色のドレスに身を包み、そっと両腕をニンテンのほうに差し出している。彼女の頭の上には黄金色で赤や黄色や青の宝石がちりばめられたティアラが光っていた。そうだ、それはクイーンマリーであった! 立ったまま、優しく腕をニンテンのほうへ向け、その澄んだ青の瞳は食い入るようにニンテンにそそがれていた。

―ニンテン。…私の歌が聴きたいの? ごめんなさい、どうしても思い出せない。いつかきっと思い出して歌えるはず、あの歌を歌えたときにそう…何かがおこるの―

暗がりの中ではクイーンマリーの唇はほとんど動いていないように思われた。しかしそこから漏れる絹のように優しく滑らかな声は、一心にニンテンのために吐かれた彼女の息吹のように感じられた。

ああ! マリーはまた正気を失っている。一度は思いだしたあの歌を、また忘れてしまったと言うのか? それならばぼくが歌おう、あの世界を救った素晴らしい歌を…。しかしそれより先にマリーはまた歌いだしていた。思いだした、思いだしたと言いながら…。もう二度と聴けないと思われた、クイーンマリーの声。そしてもう二度と見られないと思われた、彼女の美しい立ち姿。何かの奇蹟で生き返ったのか、それともハローウィンの伝説が真実だったのか、ニンテンは熱烈な思いに駆られながら、曾祖母をじっと見つめ、放心状態に陥っていた。

今にも切れてしまいそうな細いマリアの声はニンテンの心の糸にふれ、あの悲劇的な別れの思い出を彼の脳裏に蘇らせていた。イヴのメロディを記憶したニンテンたちを呼び出した女王。そしてその時歌ってくれた彼女の声をまた、ニンテンは聴いていた。夢の国の女王が天に召されることになった、あの最期の歌声を…!

Love grows strong now,

Sing a melody of love, oh love!


ニンテンは全身全霊を傾け、彼女の歌声に聴き入った。彼女の声は震え、次第にかき消されていく…そしてまたあのときと同じように彼女は天国へ帰ってしまうのではないかと思われた…。歌声がぷっつりと途切れ、彼女は黙りこんだ。それでもなお、彼女の優しいまなざしはニンテンに向けられ、その両腕はニンテンに差し出されていた。

「ああ、クイーンマリー! ひいおばあちゃん!」

目から涙をはらはらと流しながらニンテンはベッドから飛び降り、曾祖母の腕に飛び込もうとする。しかし彼がそうする前に、クイーンマリーの魂は、あの時と全く同じように彼の視界から消え去ってしまった。

… 部屋の電気をつけ、ニンテンは呆然とする。今のが夢か現実か、自分は狂ってしまっているのか。今まで見て聴いたものはすべてが、あまりに非現実的でありながら彼の胸の奥深くまでしみこんできて、ことの次第を理解するのは彼にとってあまりに難解すぎた。


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