夢と幻想の理想郷

授業が終わるとロイドはサンクスギビングデパートに駆けこみました。自動ドアをくぐればカウンターにくくりつけられた桃色のバルーンが目にとびこんできます。チョコレートやちょっとした贈り物が並べられた棚を横切り、ふわふわ楽しそうにゆれるハートの風船の間をくぐりぬけて、ロイドはカード売り場に急ぎます。特設ブースにずらりと並べられた色とりどりのカードたち。 そう、もうすぐバレンタインズデーなのです。

大好きな物理のヴィムシュタイン先生へは黒地に金色で縁取られたシックなカード、最愛のママへは薄い紅色のカード。…でも、いま一番カードをあげて感謝したい大切なみんなにはどれにしよう? 一つ手にとってはいやだめだ、と戻します。二つのカードを引きよせてどっちがいいか見比べて、いや両方だめだと戻します。このカードはけばけばしいし、あのカードは柄が気にいらないし…。これはさっき見たカードだ、これじゃあメッセージ欄が狭すぎる…。そんなこんなでカード売り場を行ったり来たり。かれこれ三十分ぐらい思い悩んだ末、とうとうやわらかな桃色のカードに決めました。

そう彼が大好きなカーネーションと同じ色。彼女が気に入っていたリボンと同じ色。そして彼が忘れられないと言っていた両親の自家用車と同じ色。桃色なんて、またあの嫌味な連中からは男らしくないって言われるだろうな、でも…大切なのはそこになにを書きこむかなんだ。うん、大丈夫!

ロイドは自分をなだめ、そしてそっと笑みを浮かべるとハートのバルーンで飾られたレジに向かいました。

家に帰ってカードをとりだします。ヴィムシュタイン先生にもママにもすぐに感謝の言葉が思い浮かんだけれど…。桃色のカードの前でふと手が止まります。どうしようかな、鉛筆をかじります。 三人の友だちの顔を思い出すと、つかみかかった言葉があのポップアップバルーンのようにふわりふわりと宙に舞い上がっていきます。どうしても気のきいたすばらしい文句が思い浮かばないうち、ロイドの脳内にある驚くべき考えが浮かびました。そしてそれはちょうど液状だったゼリーが固まっていくように彼の頭の中でしっかりとした形になっていきます。

そのとたんロイドはカードをあきらめて、受話器を握りしめていました。


バレンタインの日、マザーズディに向かおうと家を出たロイドを見覚えのある人影が通せんぼしました。

「ニンテンさん!」
「やぁ、ロイド! ハッピーバレンタイン!!」

ロイドがそうするより早くニンテンは銀髪の少年の手にカードを滑り込ませました。

―ああ…。やっぱり僕は君に先を越されてしまった―

悔しいのと降参の気持ちで唇を震わせロイドは一瞬うつむきます、でもすぐに顔を上げ、白い歯を見せました。

「ありがとう、ニンテンさん! ねぇ、せっかくなんだし一緒にバレンタインの町に行こうよ!」

懐かしいライブハウスに入ります。紫のスポットライトに照らされたステージは空っぽ。フロアでうろついていたライブハウスのさえないオヤジが、気骨のありそうな少年たちの姿にニタリと笑います。

客席にいるようニンテンを説得し、ロイドはステージに上がります。ステージ向かって左奥におかれたキーボード一式。機械いじりの大好きなロイドならちょっとした調律も朝飯前。複雑なシンセサイザーのつまみを調節して彼は鍵盤に手を添えます。ピアノを弾くのは彼の唯一のアコースティックな趣味、今日はキーボードだけれど理屈はおんなじのはず。マイクの角度を直します。

ロイドは深呼吸し、そしてニンテンに優しいまなざしを向けました。

 どんなにエラくても
 胸のキズは隠せない
 夢もちっとも叶わない

 独り落ち込んで
 八つ当たりばっかり
 でも君に出会って
 知ったよ

 ずっと探してた
 君のこと
 お星さまに祈って ああ ああ
 一目で釘づけさ
 君の目に
 キラキラ輝く
 そこはヘブン!

 どんなにツラくても
 祈りは届いた
 そうさついに
 君をみつけた!

 途方に暮れて
 願掛け井戸に
 コイントスして
 スカンピンで
 お金がなくて
 運まで投げた
 そしたら君が
 まさに運命さ
 やっとわかったよ
 僕は君を待っていたんだ

 胸のポッカリを
 君のキッスがふさいでくれた
 天使の口づけ

 腕と心で
 抱きしめて離さない
 最後のピースは君のラヴ
 なんだ

あの冒険の最中、僕には君にこんなこと言う勇気はなかった。
僕はいつも臆病で弱虫で、そして泣き虫のロイドだった。君はいつも先回りして僕を庇ってくれた、だから僕はなにもしないで君にくっついていくだけでよかったんだ。僕はなんでも君任せで、そして君にはなにをしても敵わないってそう思い込んでた。

でも。

君に出会って、冒険が終わって、確かに何かが変わったんだ、僕の中で、言葉にはできない何かが、だから…今日もカードでは君に先を越されちゃったけれど、僕はもうくじけて黙りこんだりはしないよ、僕をこんなにも勇敢にしてくれたのは、僕の胸のピースを埋めて僕を生まれ変わらせてくれたのは他でもない、君なんだから、ニンテンさん!

そのとたん、ライブハウスのドアがバタンと開いてアナとテディが乱入しました。超能力少女の手にはヴァイオリンケース。優しい不良番長の腕にはござっぱりしたギターケース。
「楽しみにしてたわ、ロイド! 今日は呼んでくれてありがと」
「オレも誘ってくれるなんて嬉しいぜ、ぼうや!」
呆気にとられるニンテンの前でロイドは舌を出しました。
「ごめんね、ニンテンさん。実は今日のショータイム、僕らの貸し切りなんだ」

おとなしいロマンスグレーの少年のこの言葉でニンテンはすべてを理解し破顔しました。
「すごいなァ、やっぱり頭のきれる天才少年、ロイドだ! じゃあさ、僕も仲間に入れてよ。エレキギター、とってくるから!」


ニンテンがパパからのプレゼントギターを抱えて戻ってくるころには閑散としていたライブハウスにあふれんばかりの人だかりができていました。慌てて楽屋にとびこむと、ちょうど≪パラダイス・スーパー・エキスプレス≫の難しい十六分音符を練習していたテディ番長がニッと笑って「遅いじゃねェか!」とニンテンをなじります。ごめんごめん、とニンテン。急いでギター仲間に手を貸します。楽譜の整理をしていたアナがクスクス笑います。すべての準備が終わって眼鏡を拭っていたロイドも肩をすくめてみせます。

―でも…。本当は練習なんかいらない、僕らはリハーサルも何にもしないで、あの子守唄を唄った、そして宇宙人から地球を救ったんだから!―

「ねえ、アンコールはあの鳥さんが教えてくれた歌がいいと思うんだ。なんたって、ほら、今日はバレンタインズデーなんだから!」

満場御礼のライブ会場。普段は生粋のフィフティーン・ロックンロールの演奏されるステージから、今晩は一風変わったテクノ・ロックな音楽が鳴り響きます。ニンテン、テディのギターコンビ、 軽やかに歌いむせび泣くアナのヴァイオリン、細い指先から何十という音色を輝かせるロイドのシンセ。少年バンドの奏でる音楽は時代の一歩先を行くようでいて、けれどもその中にどこか昔懐かしいものがあって…。ロマンティックなバレンタインの夜に、バレンタインの町のロックファンは淡く桃色の世界に放り投げられたようなエクスタシーの幻想に、時間の経つのを忘れ聴きほれるのでした。


―愛のために生けるとき
なんと命の貴いものか
貴方が愛を与えしとき
わたしは本気で信じよう
たとえそれが一時でも
貴方の愛を授かることは
この上ない奇蹟なのだから!―

欧米のバレンタイン風を狙ったバレンタイン創作(のつもりです…むこうでは普段お世話になっている人への感謝のお祭りらしいですね)。ロイドの成長物語のようなものを書いてみたくて…メカに強いところから彼のライブでのポジションはシンセ奏者となっております…。
挿入歌、ひとつめは《All that I needed》、最後のは《Flyingman》の日本語訳です。


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