世界の叡智

凍てつくように寒いスノーマンの町の山の奥にポツンと立つ小さな教会。危険な野生生物がいる道中を顧みず、町の多くの人が心のよりどころとして頻繁に訪問しているその教会に、よそからの訪問者がありました。

牧師の一人娘は、スノーマンの寒さを忘れさせてくれる心の温かくかつ陽気な少女でした。彼女の名前は、アナ。あの「楽天家」を意味する「パレアナ」のアナです。なるほど、彼女は底抜けに楽天的で、ストレスという言葉を知らないのではないかと思わせるほどでした。よくもこの太陽の光の弱い国で彼女のような性格の人間が育ったものだ、いや彼女はきっとお天道様からやってきたのだと町のみんなは感嘆のため息をもらしました。しかし、彼女は同時に、教会の娘に相応しいおしとやかさと礼儀正しさをもわきまえておりました。

彼女は、今こつぜんと目の前に現れた二人の少年を眺め、自分の内部で何かがはじけるのをしっかりと感じ取りました。

教会のドアを開け、開口一番「お邪魔します」と教会内の静寂をかき消すように叫んだ少年は、慌ててかぶっていた赤い帽子を脱いで一礼しました。青と黄色のストライプのティシャツはなんと半袖。短くきれいに切りそろえられた黒い髪に黒い無邪気な瞳。袖からのぞく日に焼けた腕はすらりと細くて、そのくせに至極丈夫そうです。背負っているリュックにはピカピカのバットがさしてあって、これでアナは合点しました。野球少年のニンテンです。

そのたくましいスポーツ選手の後ろで、見るからに引っ込み思案で気の弱そうな丸眼鏡の少年が震えています。外の雪とも見紛う見事な銀髪はすっかり濡れてしまい、前髪が広い額に張り付いてしまっています。細面のニンテンとは対照的な丸顔。色白の細い腕、小太りの体。そんな彼には、どう考えても「ガリ勉」という言葉がお似合いでしょう。なるほど黒縁のロイド眼鏡は自然と彼を勤勉で頭の良さそうな少年に見せます。しかしそれと同時に、ふくよかな頬に浮かぶソバカスは彼にちょっとしたあどけなさを添えています。ロイド、そう、自分のかけている眼鏡と同じ名をもつ、天才科学少年のロイドです。

教会の雰囲気をぶち壊してしまったニンテンは当惑のあまり、名乗ることすらすっかり忘れて、リュックサックから桃色の帽子をとりだしました。
「そのう、レインディアの駅であずかって。スノーマンの教会のアナさんに届けてくださいって」
そうです、アナの帽子です。イースターに行ったきり帰ってこない母親を探しに一度レインディアに行ったとき、アナが駅に忘れてきてしまったのです。…いや本当のところは、わざと置いてきたと言ったほうが正しいのでしょう。アナはにっこり微笑み、慎重に言葉を選びながら二人にことのいきさつを話し始めました。
「ニンテン…でしょ? あなたによく似た少年を夢で見たことがあります。あれは、ママを探しにイースターに向かったとき。電車が止まっていてレインディアから先に進めなかったの。その夜に、あなたと、そして後ろのロイドが、ロケットを発射する夢を見たわ。線路をふさいでいた大岩を破壊したのもちゃんと。私はこれで電車が動いてサンタクロース駅に行ける! と思ったんだけど、あなたはそれを止めたの。夢の中ではっきりと聞いたわ、『僕たちが迎えに行くまで教会にいてくれ』って。だから、私、帽子をわざとレインディアの駅に置いて帰ったの。もし夢で見た少年たちが本当にあなたたちだったら、きっと帽子を届けてくれると思って」
でも本当にそのとおりになって嬉しい、とアナは言ってぱっと頬を赤らめました。ニンテンもロイドもアナの話に目を丸くし言葉を失って硬直しました。

が、先に動いたのはニンテンでした。彼は、アナが見た夢が本当で、それも偶然でないことをしっかりと悟っていました。
「うん、僕はニンテン。そして…彼はロイド。不思議だな、僕もまた君の声を聞いたことがある、つかめないぐらいかすかなもので誰の声なんだろうって思ったけど、確かに君だ。ママを探しにイースターに行くのってそう聞こえたけど、あそこら辺は気が狂った野生生物や得体のしれない宇宙人や無人運転のトラックが走りまわっていてすごく危険なんだ。だから、もちろん僕たち二人では辛いし、君一人ではもっと危ない。僕ら、三人集まればそれらとも十分互角に戦えるんじゃないかって、そう思って『やめろ』って答えたんだ。もちろん戦うって言ってもおとなしくさせるだけだけどね。僕らは罪のない小動物を無差別に殺すのはまっぴらごめんだし、僕らが対峙しなくちゃいけない相手はもっともっと巨大な何かなんじゃないかって、そう思うんだ」

ニンテンはすっかり落ち着きを取り戻していました。そしてそんなニンテンの言葉に大きく二つうなずき、アナは帽子を受け取ります。
「イースターに行けなくってとっても悲しかったの。でも今はよかったって思ってるわ! だってニンテンとロイドに会えたんだから!」
へぇとニンテンが口に笑みをつくると同時に彼の後ろでロイドが小さくくしゃみをします。ずいぶん冷えてしまったようで、さっきから体の震えがおさまっていません。アナははっとして、玄関の前で長話は体に悪いから、と言って二人を教会の奥の小部屋に案内しました。

そこには暖炉があって、中で赤い炎が小さな、不規則だけれども心地よい音をたてて踊っていました。その暖炉の前で安楽椅子に腰掛け聖書を読んでいたアナのパパは、娘が二人の少年を連れてきたので向きなおりました。アナが、夢に出てきた二人よ、と言ってニンテンとロイドを紹介します。おそらく娘から夢の話を聞かされていたのでしょう、パパは朗らかな笑みを浮かべて二人を温かくもてなしてくれました。

「娘の話を聞く限り、あなた方の旅は始まったばかりで、そしてこれからもずっと続くものと感じられます。今はひとまずゆっくりお休み。温かい毛布もベッドも用意してあります。それから食事をとって、ここで心と体を休めなさい。戦いの女神はあなた方に微笑んでくださるはずです」
ニンテンの快活な返事が響きます。お言葉に甘えさせていただきます! と勇ましく答え、彼はくるっとアナのほうに向きなおり、にっこり笑いました。
「もう僕らは仲間だ、よそよそしい口はきかなくていいんだよね!?」
あら、無理してたの、この人! そう思いながら、彼と同様に猫をかぶっていた自分にも気がつきアナは吹き出しました。
「オーケイよ。毛布とってくるから待ってて。ね、パパ、ソファ貸してあげてもいいでしょ?」

パタパタとアナは毛布をとりに駆けていきます。ニンテンは大きくぐっと伸びをしてリュックサックをおろすとソファにどっかと体を任せました。体力自慢の彼でさえスノーマンの山越えは過酷なものだったのです。少しでも休める場所があれば思いきり体を横たえたくてたまらなかったのです。しかしすぐに彼は跳ね起きて、まださっきと同じ場所で硬直しているロイドを見ました。
「傷が痛むかい? とりあえず荷物を置いてここにこいよ」
ロイドの華奢な腕には、雑にタオルが巻かれていました。ここに来る途中に銀狼にかまれてしまい、満足に治療ができなかったのです。負傷した腕をかばいながらうなずくと、気弱な少年は言われるがままにしました。ニンテンのハイテンションに押され、この危険な町までほとんど丸腰で来てしまったことを多少後悔しているようですが、彼の表情にニンテンを憎む色がまったくうかがわれないのは彼の寛大な性格が故でしょう。

「PPが回復したらすぐ治してあげるんだけど。いや、もしかするとアナもサイキッカーかもしれないな」
ロイドが言葉をさぐっているうちに当のアナが毛布を抱えて戻ってきました。ニンテンが親友の傷ついた腕をとって事情を話すと、アナは青ざめた顔でそっとロイドの腕に触れました。
「狼に噛まれたなんて! 私もヒーリングは使えるのよ、でもこんな大怪我に効くか自信がない」
ロイドは、ニンテンやおそらくアナも持つ不思議な力、PSIは使えません。超能力というか超科学というか、そういうものの存在を信じようと努力してもやっぱり否定してしまうのです。そのかわり、科学で証明可能なもの、メカニックなもの、そういうものに関しては―科学者の父や、善良な理科のヴィムシュタイン先生の教えも手伝って―普通の大人よりはるかに多くのことを知っています。ニンテンはそんな自分をとてもあてにしてくれるけれど、それでもやっぱりPSIがうらやましいと思ってしまうのです。

そうこうするうち、ロイドは自分の腕からみるみる痛みが引いていくのを感じ取りました。優しく暖かいベールのようなものが傷を覆って癒していく感じ、それは物知りで読書好きの彼のボキャブラリーをもってしても表現することができない不思議な感覚。でも、それがあらゆる傷を治してくれるものであることだけはわかっていました。
「よかった、治ったみたい!」
「すごいなぁ、アナは! 僕よりはるかに強い気を使えるんだね」
私ね、クリスマスイヴの前の日に生まれたのよ。とアナは得意げに言って、だからきっと普通の人より格段に特別な力が使えるんじゃないかって思うの、と続けます。
「それとも逆かな。あなたたちの仲間になるための不思議な力が備わっていたから、だからクリスマスイヴの前の日に生まれたのかな。…でもそんなのどっちでもいいわね。ともあれ、覚えやすい誕生日でよかったと思わない?」
絶対忘れないよ、とニンテンは吹き出します。しかし、ロイドはきまり悪そうにはにかんで、ボソボソとありがとうございます、と言っただけでした。快活なニンテンと比べるとずいぶんと根暗な性格のようです、でも。その暗さの奥にはなにか深刻な意味が隠されているような気がしてアナは首をかしげました。おまけにそこにはなにか共感する節さえあるような感じがするのです。


夕飯の時も、会話が弾んでいたのはアナとニンテンの間だけでした。そもそも物静かなアナの父親は普段からほとんどものを言いませんでしたが…。
「さっき誕生日って言ったけど、ぼくらのもすごく覚えやすいと思うよ。僕は5月13日、ちょうど第二日曜日だったんだって。ロイドは11月の23日。これも面白いことに第四木曜日」
「あら、クリスマスイヴの前夜にマザーズディにサンクスギビングね!」
「面白いだろう?」
白パンをもぐもぐしながらニンテンはうなずきます。この人はきっと口にものをいれてしゃべることが無作法だって習わなかったのね、まあ今日は格別お腹もすいているんだろうし目をつぶりましょう、そうアナは思って、ふとさっきから下を向いたまま動きが止まっているロイドに目を向けます。長袖の上着を貸してもらったにもかかわらず、彼はまだ小刻みに震えていました。それでやっとアナは、それが単に寒気から来ているものではないことに気がつきました。
「料理、口に合わなかった? 苦手なものとかある?」
はっと顔を上げロイドは首を振ります。そしてひどくびくついた目でアナの表情をうかがっています。どぎまぎして今度はアナが目を伏せました。私はもっとロイドのことを知りたいのに、そう彼女は思いました。逆に私のほうが散策を入れられているみたい。

確かにそうです。ロイドのその目は、単にアナの顔色を探る以上にアナの本心を盗み出そうと必死になっているようなのです。はたして彼女は自分のことをどう思っているのだろう? 僕のような人間とは仲良くなってくれないんじゃないか? そう言いたげな、まるで捨て犬や捨て猫のようにおっかなびっくり、彼はアナの方を見ています。しかし、それも長く続かず、ロイドはまた首を垂れました。

『いじめられてたんだ、学校で』
アナの心に声が響きます。ニンテンの声です、つまりはテレパシーです。口に出すときっとロイドが傷ついてしまうから、と自分たち特有の内緒話を始めたのです。
『僕が初めて彼に会った時も、彼はポリバケツの中に隠れてた、隠れてたのか閉じ込められてたのか定かじゃないけど。僕が、僕と君とは友達だよって言ってあげても最初は全然信じてもらえなかった。今はずいぶん慣れたけどね。でも…、君とは今日会ったばっかりだもん、ずいぶん怖がってる。なにかされるんじゃないかって、心配で心配でたまらないんだ』
『可哀想に…』
『彼はどの教科も―体育以外は―抜群に成績がいいんだ。それそのものをねたむ生徒もいたし、彼が先生のペットだっていう生徒もいた。それに、いやそれだから余計にかな、体育の時間になるとクラスメートはおろか、先生まで自分を見物にして笑ったって。心の傷は、残念ながらPSIでも癒せないし、彼のほうから歩み寄ってくれるのを待つしかないんだ』
ニンテンはそう続けて不意に少しうなだれました。ロイドの過去は自分たちだけの秘密でしたし、他の人にばらしたことは一度もありません。ですから親友の辛い過去をたとえテレパシーを通してでも言葉にしてしまうと、切なくて胸がきゅっと締め付けられます。でもいやいやと首をふって彼はすぐに顔をあげました。
『このことと、僕が学校の帰り道に時々ホットドッグのワゴンに立ち寄ることは、僕らだけの秘密だよ』
まったくこの人は! そうアナは思って内心苦笑しました。


先に感じた不思議な感覚は満たされていませんでした。ロイドはまだ何か辛い思いを堪えている、それはいじめによる傷よりももっと深い深い傷で、それを心に刻みつけたまま誰にも相談できずに苦しんでいる、そう感じるのです。それを本人に問いただすのは絶対にしてはならないことです、そこでその代りに彼女はロイドの心をつかもうと意識を向けてみました。

ところが、彼の胸の内は空っぽのようでつかめません。漆黒の闇がずっとずっと奥まで続いているようで、アナ自身も彼の虚無感に吸い取られていきそうです。もしこの闇の正体がつかめたら、きっとロイドはもっともっと明るくなるだろうに、そんな気が確かにするのにどうすることもできず、アナは黙りこみました。

一瞬、妙な沈黙が走ります、それを無理やり破ります。
「私ね、よく質問魔って呼ばれちゃうの。私、そんなにおしゃべりかしら?」
そんなことないよ、と笑うニンテンの横でロイドは顔をあげて目を震わせました。黙ってばかりいる自分にとって、そのアナの言葉は「もっとしゃべらないと、質問をたたみかけるわよ」とでも言いたげな忠告を含んでいるようでした。重い口をやっと開いて、ロイドは言葉を紡ぎ始めました。
「僕は、ニンテンさんのように、口達者ではありません。だから…何か言おうと思っても、何も言えないのです。…ごめんなさい、アナさん」
そこまでやっと言って、彼はふうと息をつきます。ずっとこんな調子なんだよ、と言いたげな目でニンテンがアナの顔を見ます。
「でもさ、ロイ。口が重いのは何も悪いことばっかりじゃないよ、僕は逆に何でもかんでもペラペラペラペラ言っちゃって、どうせものすごく後悔するハメになるんだから。ハローウィンのホテルの一件も、あれも僕のおしゃべりのせいだったしね」

そうです、ニンテンが軽率にホテルのクラークに自分たちの素性と旅の目的をすべてぶちまけたせいで、二人は翌朝そのクラーク、いや本当はクラークに化けて二人が来るのを待っていたスターマンに襲われたのです。このことを夢で見ていたアナは不本意に噴き出して、口は災いのもとよとニンテンをなじります。
「わかりましたよ、じゃあこれからは羊のようにおとなしくしていますよ」ちょっと肩をすくめてニンテンはわざと改まったように言うと笑いだしました。そんな彼は適当に無視し、アナはロイドに微笑みかけました。
「音楽に興味ある? パイプオルガン、よかったら弾いていいのよ、私も今晩はお気に入りの曲を弾きおさめをするつもり」
何かを言いたそうにロイドは口を開きかけましたが…。結局また黙り込んでしまいました。


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