カノジョ

「最近、ずっとうかない表情をしているけれど、いったいどうしたの?」

ある日の真夜中、夜なべして武器を修理中のジェフにコーヒーをすすめながら、ポーラは心配そうに尋ねた。確かにここ数日、心なしかジェフは元気がなかった。狂った動物を鎮めているときも、こうして武器を修理しているときも、うつろな目をして溜息ばかりついていた。

「寝不足で疲れたんじゃないかって心配なの」ポーラは少し頬を赤らめ言葉を探った。「それにネスだって、心のどこかで心配しているはずよ」
ジェフは手を休め、申し訳なさそうに顔をゆがめた。
「ありがとう、ポーラ。…確かに疲れはある、ぼくも一応人間だからね。でもそれには慣れっこだしすることといえば武器の修理だからなんとも思ってはいない。それより気になるのはウィンターズに残してきたあの子のことなんだ」
「親友のトニーさんね? あなたのこと、慕っているんでしょう?」
「ポーラ! これ以上ぼくの悩みのタネを増やすようなことを言うのはやめておくれ。トニーのことまで心配しだしたら体が持たないよ。でも…言いにくいな、あの子はぼくにとってもっともっと大切な存在なんだ」

ポーラは驚いた。ジェフのその口ぶりは、あたかもウィンターズにガールフレンドでもいるかのような錯覚を彼女に与えた。そしてポーラはその話題に深入りせずにはいられなかった。

「ねぇ、ネスには私が話をつけてあげるから今日は修理は止めにして、その子のこともっと聞かせて。それに、心配事があるなら話しちゃったほうがずっと体にいいわ」
ジェフは一瞬うつむいて手元のこわれたグッツを見たが、すぐに振り向いて苦笑した。
「ネスは怖いよ、一晩で修理を終えないとぼくの頭に雷一発だって辞さないからね」そう言ってジェフは首を振った。「だけど、今晩だけは君の言葉に甘えさせてもらおうかな」


二人は床に腰をおろした。濃いブラックコーヒーをすすりながら、ジェフは大きな溜息をつく。
「名前はブラウニー。小麦色の髪をして、茶目っ気たっぷりの大きな目でぼくをじっと見つめるんだ。何か言いたそうに口を震わすのだけれど、言葉にならなくてね。いつもぼくが彼女の胸のうちを察してあげないといけない。でもそれはそれで彼女の魅力のひとつなんだろうと思う」
珍しく、ジェフの声は震えていた。コーヒーの入ったマグカップを両手で握り締め、彼は目をつぶり黙りこくってしまった。漸く彼が再度口を開いたときには、彼の目には涙すら浮かんでいた。
「彼女は長いことぼくと一緒にいたから、たぶん他の誰よりぼくを頼ってくれているのではないかって、思っているんだ。勿論これはぼくの思い上がりにすぎないけれどね。ぼくも、パパやママが近くにいなかったから、彼女に頼りっぱなしだった…彼女にはいろいろ迷惑をかけただろうなぁ、 …でもあの子は寛大だからぼくみたいなバカ者を許すだけの分別を持ち合わせているんだよ。でも、君の声が聞こえたとき、ぼくはすっかりあせってしまって、彼女に『いってきます』の挨拶すらするのを忘れてしまったんだ。もちろん、今はトニーか他の親友がぼくの代わりに彼女の相手をしてあげているとは思うけれど、せめて一声、声をかけてから出発するべきだった。あの子がぼくを探して泣いているんじゃないかって、そう思うたび辛くて辛くて仕方がないんだ」

ポーラも震えていた。必死で平生を保とうとしても驚きと憤りを隠すので精一杯であった。
―まさかジェフにガールフレンドがいただなんて!
「ごめんね、ポーラ。こんな話に君をつきあわせるつもりではなかったのに」
「ううん」ポーラは精一杯微笑んだ。「それって絶対恋わずらいよ、今度ウィンターズに戻ったらすぐに会って謝ってあげて。その子、あなたに対してとっても寛大なんでしょう、きっと赦してくれるわよ」
うん、と小さくうなずきジェフは涙をぬぐった。
「ありがとう、ポーラ。その時には、ぜひブラウニーを紹介させておくれ。きっと気に入ると思うよ」

何気なく言ったその言葉が、ポーラを深く傷つけてしまうなぞジェフには想像できなかったであろう。けれどもそれはポーラに立ち直れないほどのショックを与えるには十分すぎるほどの言葉だった。可哀想にポーラは目に涙を一杯にため、すっかり打ちひしがれた表情で立ち上がると振り返りもしないでベッドに駆け戻ってしまった。―もしもう少し冷静に、一字一句吟味しながらジェフの話を聞いていれば、くだらない勘違いをすることにはならなかったのかもしれない、しかしポーラにはその余裕はもはやなかった。ブラウニーという子に対する悔しさと怒りだけが己を占領し、普段の落ち着きと仲間に対する信頼を押しのけてしまっていた。

無論ジェフにとって、ポーラのその掌を返したような態度はあまりに不可解なことではあった。 しかし彼には、彼女を追いかけて何故そういった態度をとったのか、その理由を問い質すだけの勇気がなかった。ただただ、自分に声をかけてくれただけでなく話さえも聞いてくれた、優しいポーラをなぜかしら傷つけてしまったという自責の念を感じ、それに耐えることしか彼にはできなかった。


翌日思いがけず、ウィンターズにいく理由ができた。ジェフのパパであるアン・ドーナッツ博士の研究所から助けを求めるらしき電話がかかってきたのだ。それは悲鳴とともに切れてしまったからなにがあったのかよくは分からなかったが、ネスはポーラが全く元気がないのを気にもせず、テレポートを試みようと意気込んでいる。無論、ポーラだってこの非常時にウィンターズに行きたくないとだだをこねることはできない。むしろ、スノーウッド寄宿舎の前に到着するだろうと彼が言うのを聞いたジェフの心境は複雑だろう。自分の父親の研究所で何か事件が起こっている。それなのに自分はのこのこ愛するブラウニーに会いに行ってよいのだろうか? でも、このチャンスを逃してしまったらもうウィンターズに戻る機会はなくなってしまうだろう。

寄宿舎の前に着くと、ネスはドラッグストアへ買出しに行ってしまった。寄宿舎の外にいたガウスが久しぶりに後輩の元気な姿を見て喜び、ぜひ寄宿舎でゆっくりして言って欲しいとすすめる。すかさずジェフはブラウニーのことを尋ねる。

―「ああ、ブラウニーか、元気だぞ。会いに行ってやれよ、お前に会いたがってるぜ」―威勢のいい声で答えると先輩は正門の鍵を開けた。嫌がるポーラの手を引いて、ジェフは走り出す。

「ごめん、でもぼくは、約束は守りたいほうなんだ」

わかっている、ポーラにブラウニーを会せることはどうやらこの世で一、二を争うほど罪深きことであるらしい。でもいったい、何故? 何故、ポーラはそんなにブラウニーを毛嫌いすることがあるのだろう? いや、彼女は不思議な力を持っているから、いつの間にかブラウニーのことを深く知ってしまったのかもしれない。でも、たとえそうだとしても、ぼくはこの重い罪を犯してでも、そしてそれによってわが身にどんな不幸が降りかかろうと、大好きなポーラにブラウニーを見せてあげたいんだ!



ポーラははっとした。いつの間にか、自分とジェフは寄宿舎の裏手の小さな小屋の前に立っていた。そこからは藁と燕麦のよい香りが漂っていた。

「ブラウニー、そこにいるのかい? ぼくのブラウニー!」ジェフが小屋に飛び込む。「ブラウニー! よしよしいい子だ。さあおいで」
ポーラは息を呑んだ、これってもしかして…。

「ジェフったら! いけない人!」
目の覚める栗毛馬を引いて馬小屋から出てきたジェフにポーラは飛びついた。その力があまりに強かったため、二人はそのまま雪の上に倒れこんでしまった。


「ぼくのどこがいけない人だって?」あわててポーラは飛び起きたけれども、ジェフは起き上がろうともせず苦笑した。「かわいいぼくの愛馬、仔馬のころからずっと面倒を見てきた大切な愛馬なんだ、気に入ってもらえた?」
「ひどいわ、ジェフ。昨日、あなたはブラウニーが馬だってこと、一言も言わなかったでしょう?」
ようやくジェフは起き上がり愛馬に頬ずりした。
「そういえば言っていなかったかな? …君をからかうつもりなんか全くなかったんだよ、でも …もし本当に君が傷ついてしまったならば、ごめん」
「もちろん、ブラウニーが馬と知っていればあんなに傷つきはしなかったわ」ポーラは無邪気に微笑んで、頬を赤らめた。「じゃあ乗馬も得意なのね、ジェフ。あなたの、その機械しかいじったことのない手が、まさか手綱を握るだなんて想像できない。だから今すぐでも、その子に乗ってちょうだいな。馬に乗ったあなたはさぞ紳士的でしょうから!」
「よしておくれ、ポーラ。ぼくにはもったいない言葉だよ…。でも、言ったろう、ブラウニーは寛大だから、ぼくがどんなに下手に乗ったって大目にみてくれるんだ。 …どうやら君はぼくを許しちゃくれなさそうだね。わかったよ、ブラウニー、さあ、お披露目だ」


しかし彼はすぐには愛馬に乗らなかった。しばらく言いにくそうにポーラとブラウニーを見比べているうち、ついに決心がついたのか、ポーラを抱き寄せ微笑んだ。白い息が、彼の眼鏡を曇らせる。

「勘違いしないでおくれ、ポーラ。ぼくは、ブラウニーとは全く別の理由で、君のこと大好きなんだから」


その言葉に驚かされ、ポーラはジェフが身軽にブラウニーにまたがる瞬間を見損なってしまった。ジェフは手綱を握り、「ソレッ」という掛け声とともに駆け出す。
「ジェフっ、待ちなさい! もうジェフったら…本当に逃げるのが上手なんだから! それにしても、よくも私も彼にガールフレンドがいるだなんて思ったものだわ、彼の特異性はよく理解していたつもりだったのに」

もうポーラはブラウニーを嫌には思わなかった。 たとえ、久しぶりの再会にジェフとあの栗毛馬が今そこはかとない幸せを感じていようがいまいが、それと自分は全く関係がなかった。少なくともブラウニーは自分からジェフを奪う対象では決してないのだから!

ジェフの清純なカノジョ紹介のお話です(苦笑)(そしてちゃっかりカップリングはジェフとポーラ)。ジェフは紳士的な青年なのできっと乗馬とか馬とか似合うだろうと思いまして…!乗馬は貴族のたしなみであります(いつジェフは貴族になった!)


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