いいわけ

授業が終わって部屋に戻って来たジェフは、トニーがぐったりと床にのびているのを発見し驚きました。教科書の入ったカバンを放り投げ、親友を抱き起すと何度も何度も彼の名前を呼びます、それでもトニーは気がつきません。お昼にカフェで会ったときは、彼はいつもどおり元気にしていたのに…。まさか食中毒? でも、だとすれば彼と同じものを食べた自分だって、激烈な腹痛に悩まされてもおかしくないのに。

とりあえずトニーをベッドに寝かすと、ジェフはすっかり焦ってしまっている自分をなだめながらエリックを呼びに行きます。こんなとき、賢明な医者の息子と友達だと何かと便利なのです。ジェフに呼ばれ、トニーの様子を見にきたエリックは肩をすくめて見せました。
「風邪だよ、最近めっきり寒くなったから」
でも、とジェフは唇を噛みます。
「さっきはすごく元気だったんだ、とても風邪をひいているようには見えなかったんだよ…」
「とりあえず先生を呼んでくるよ。君はここで看病しててあげて」

いたって冷静な口調で言うとエリックは部屋から出ていきました、同じ医者の子供なのに自分と彼とはどうしてこうも違うものか。ジェフは自分が嫌になりますが、今はそれどころではありません。洗面器とタオルを持ってきます。濡らしたタオルでトニーの額を冷やしてあげます。とりあえず今自分ができることはこれだけだ、ほっと溜息をついてトニーの枕もとに腰をおろします。

それにしても…。健康最優良児の代名詞、トニーが風邪をひくなんて。自分が風邪なり腹痛で―ある意味では胃痛で―寝込むことがあっても、トニーが倒れたことなんて一度だってありません。そんなことでも起ころうものなら天地がひっくりかえるんじゃないかと言うぐらい、それは空前絶後の非常事態です。そっと胸の前で十字を切って、ジェフはなにかよからぬことが起こらないように祈ってしまうほどでした。

しかしジェフの祈りは届きませんでした。エリックが真っ青な顔で戻ってきたのです。慌てて立ち上がり、どうしたのか尋ねます。
「検診中で…誰も手が空いてないらしい」
こ、こんなときに! 珍しくおとなしいジェフがこぶしを握りしめ、歯を食いしばります。
「でも…! トニーは重症なんだよ、言えばきっと誰か」
部屋を飛び出ようとする彼を通せんぼし、エリックは首を振ります。
「医務室は夕方にはきっと開くから。大丈夫だよ、二人で看病してれば十分なぐらいだ」

とにかく今は彼の体を温かくして、ぬれタオルで額を冷やしてあげて、それ以上できることはないよ。そう言い残しエリックは走って部屋をでていきました。脱力し、再びトニーの脇に腰をおろします。全くエリックは冷静で頼れる男でしたが、時にあまりに冷淡すぎるので思いやりにかけているんじゃないかと疑ってしまいます。でも決してそんなことはないのですが…。

そうこうするうち、不意にトニーが気がつきました。
「ジェフ…」
「ああ、トニー! よかった、気がついたんだね!」ジェフが破顔します。「部屋に戻ったら君が倒れていたから…すごく心配したんだよ」
ごめんね、そうかすかに微笑み、トニーはそっと体を起こしました。それを無理しないでとなだめ、逆に寝かしつけます。もうずいぶん楽になったから、かすれ声でそう言いながらもトニーはジェフの善意に甘えて横になります。
「たぶん、国語の先生に移されたんだ! 出席番号順で並んだら、いっちばん前の席になるんだもん、そんなときに限って先生が風邪ひいてるときちゃたまらないよ!!」
そうだね…と、早くも病人の口調におされぎみになりながらジェフは苦笑しました。今、医務室はお取り込み中で手が離せないようだからもう少し待っていて、とトニーに伝えてあげるとジェフはすっかりかけてあげる言葉がなくなり途方にくれました。こんな時でも、人付き合いの苦手な自分は突如「話題不足」という罠に陥ります。
「どうしよう…何か元気になること、したほうがいいのかな」
どうすることもできない親友を見上げながら、トニーはクスクス笑っています。
「君がずっと横にいてくれればそれでかまわないよ、すぐ元気になるから」
うん、と小さく言ってジェフは必死で笑顔を作りました。こんなだらしないルームメイトでごめんね、そう言いたげな笑みでしたがトニーは何も言いません。うんうん、と逆に笑い返してくれます。


そこへエリックが帰ってきました。購買で買ってきたのでしょう、りんごと蜂蜜と、それからジンジャーを抱えています。トニーが起きているのに気がつき、エリックも安心したように朗らかに笑って見せます。これが風邪に効くんだよ、と言いながら水筒をとりだします。おそらく、お湯もカフェからもらってきたのでしょう、このぬかりなさにはジェフもトニーも感服のあまりです。ジェフが立ち上がり、マグカップをとってきました。そこにお湯をついで、はちみつとすりおろしたりんごを溶かします。
「ジンジャーもいい。次はこれでつくるといいよ、喉にしみるけどね」
ジェフの手からマグカップを受け取りながら、トニーはエリックにうなずき返します。頬を紅潮させながら温かい飲み物を喉に流します、ほっと体の疲れがとれていきます。ありがとう、と顔をあげて二人に言います。それを気にしないで、と二人は首を振って受け流します。


トニーが再び寝入ると、エリックはジェフの脇腹をつっつきました。
「忘れたのかい、今日はトニーの誕生日なんだよ」
うっと息を詰まらせジェフは苦笑しました。そう言えば…。全く、去年はやむを得ない非常事態だったとは言え、トニーの誕生日プレゼントのクッキーを全部横取りしてしまったというのに!  この大切な日をまた忘れていたなんて、思えば数日前からトニーが今日、授業終わったらどこかにいこうね、としきりに言っていたのはそういうわけだったのか、何も知らない自分はどこに行くとも言わないでうん、うんと軽く流していたっけ。
「それで…さっきまでは無理してでも元気なふりをしてたのか」
あいまいな返事でも、イエスと言えばイエスです。今晩、大切なルームメイトと外に出られると思っていたトニーは何とか風邪をひいたことを隠そうと懸命になっていたなんて。そしてそのことをなんにも知らないでいたなんて、まったくいつまでたってもぼくは親友失格なんだから…。

「何か祝ってやったらどうだい、ジェフ!」

突然ドアが開いてマットとウォルターも飛び込んできます。おおよそ、お得意の盗聴とやらをしていたのでしょう。エリックも二人に同意するようにジェフを見つめています。さすがにこうなるとジェフの立場も哀れとしか言いようがなくて、すっかり困惑してしまった彼は何も言えなくなってしまいました。


夕方になって、やっと医務室で検診が終わったころ、またトニーは目を覚ましました。枕もとで彼の看病していたジェフは医務室に行こうか…と言いかけ言葉を呑み込みます。せっかくどこかに遊びにいこうと約束していたのに、それが「医務室」なんてあまりに非情すぎる。しかし、頭の中はかえって真っ白です。何も言葉が浮かんでこないのでさらに焦って悪循環に陥っていきます。
「ジェフ、ごめんね」トニーが体を起こします。「せっかくどこか行こうって、約束してたのに。おまけに言いだしっぺは僕なのに、こんなことになっちゃってさ」
「気にしてなんかないよ。ぼくは…そのぅ、違うんだ、勘違いしないで、決して…決してあの約束がどうでもいいとかそう言ってるワケじゃなくって」
どうして自分はこんな時にまで上がってしまって何も言えないんだろう、一度は地球の未来を背負ったはずなのに、臆病でシャイな性格は全く治っていないのです。
「ごめんよ、トニー。そんなに重い風邪をひいていたのに…朝もお昼にもぼくはちっとも気がつかなくて」
僕こそ無理しててごめん、そう言いながらトニーは小さく咳きこみます。ジェフが心配して彼の額に手をあてます、まだ熱は下がっていないようです。
「医務室、もうあいてるかな? 連れてってくれる?」
…うん、とジェフはうなずき、トニーを支えて歩きだしました。

「あの…トニー…」
今日が君の誕生日ってこと、実は忘れていたんだ、そう言いたくてもとても言えません、「実は」なんて言いながらこれが何回目なのか自分で考えるのも嫌なぐらいです。でも、トニーはもうジェフが自分の誕生日を覚えていようがいまいが、それはほとんど気にしていませんでした。
「わかってるつもりだよ、ジェフ。でも、謝る必要なんてないよ、こうやって横にいて僕を支えてくれてるだけで…お金じゃ代えられない素敵なプレゼントなんだから」
そっとトニーの肩に手をまわし、ジェフは涙ぐんでうなずきました。背丈こそ、トニーは自分より少し低いくらいでしたが、彼の存在そのものは自分のそれよりずっとずっと高いように思えて、小柄なトニーを胸の内では精いっぱい見上げます。

―ごめんね、トニー…―

そっとトニーの手を引き、廊下の壁に隠れます。どうしたんだい、ジェフ、首をかしげるトニーを真剣な瞳で見つめます。

「たぶん…風邪を治すには…この療法が一番だと思う」

トニーが物を言うのを制するように彼と唇を重ね合わせ、ジェフははらはらと涙を流します。そして、こんなにも自分の体が嫌に火照っていくのはトニーの熱が移ってきているからなんだと、自分に言い聞かせるのでした。

うっかり風邪をひいてしまい、大学の診療所に行こうとしたら定期検診ちゅうであいておらず、地獄を見たある日…の出来事からジェフとトニーのお話を考え付きました。最後の最後に急接近のふたり。しかしジェフは鈍感いやマゾな子でホントにトニーの風邪をもらっちゃえぐらいに思っているだけかもしれません。。


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