故意の悪戯

「なんだ、そんならお安い御用だ」
トニーはケラケラと笑ってポーラの頼みを快諾しました。トニーのあまりに呆気ない返事にポーラは一瞬、からかわれているに違いない、と再度慎重に依頼を繰り返します。トニーは万事オーケーといった風でうなずき、僕を信じてよと胸を叩きます。

そうなのです。実験室でも雪の上でも勉強机の前でも、すべてが「地」のトニーはどんな頼みごとも卒なくこなしてまったくわざとらしさを感じさせないのです。彼の方法はタス湖一面に張った氷の上を綺麗な8の字を描いてすべるようなもの。つまずきもしなければ、勇み足にスピードを増すこともありません。まるで空気と一体化したように、そこにいるようでいていないもの。風が吹き抜けるように、たしかになにかをしでかしているのに、なにをしでかしたのかさっぱり分からないという感じ。雪の下に埋もれた高潔の白い花が人目につかず咲いて枯れてゆくようなもの。雪がとけたころにはもう、そこに美しい花が咲いていたことになぞ誰も気づきはしないのです。

自信満々のトニーにポーラはとうとう安心して微笑みました。彼女のお願いとは…バレンタインの日にトニーにチョコレートを渡したい、というもの。それも敢えてジェフの目の前で。

それだけでトニーはすっかりすべてを合点しました。ジェフの大親友で毎年バレンタインにジェフにチョコレートを渡しているトニーはジェフの無頓着な性格がよくよく分かっていました。そうつまり、ジェフときたら友チョコであれ、義理チョコであれ、そして本命のチョコレートであれ、贈り主の気持ちにはまったくとんじゃかないのです! 

そしてポーラも、きっと前にジェフにチョコレートをあげたことがあるのでしょう、それが義理か本命かは彼女の勝手、ただそのときにジェフがポーラからの贈り物をなんでもないただの甘い板切れとしか見なかったことは簡単に察しがつくというもの。可哀相にジェフへの想いに気がついてもらえなかったポーラは…次のバレンタインで鈍感なジェフを試そうというのです。

そう…もしジェフがバレンタインのチョコレートの意味を知っていたら、ポーラがトニーにチョコを渡す様子を見て多かれ少なかれ嫉妬心に駆られるはず。そしてもし、なにも感じないとしたら…彼は正真正銘の穢れなきおバカさんに違いありません!


ポーラと指きりげんまんして部屋に戻り、トニーはトニーで盛り上がります。薄情者のジェフをちょっとした悪戯で懲らしめてやろう。ポーカーフェイスの彼だけど、大親友でルームメイトの僕を心から慕っていることぐらいお見通し! おまけにポーラの調子から、ニュアンスは違うけれどジェフがポーラと僕、両方に気があることも確実のよう。

それならば、次のバレンタインで一時ジェフを裏切ってやろう。ポーラからのチョコレート―文字通りの義理チョコ―を平然と受け取って「ありがとう、ポーラ!」ってただそう言うだけであの天邪鬼には充分。ジェフが取り乱してどんな態度を取るか楽しみでならないや。そのときは平生を装っておいて、後になってくどくど弱音を吐き始めるかもしれない。驚いて「ポーラ!」とか「トニー!」とか言って、一体君たちは何のつもりだい? なんて言うかも。

とにもかくにも、トニーも角煮も?! …これまで贈り主の気持ちを踏みにじってきたジェフに真心のこもった天罰の一打をお見舞いしなくちゃ! そうしたらきっとジェフは、来年以降僕のチョコレートをありがたく受け取ってくれるようになるに違いない!


「だけど待った!」
トニーははっとします。
「だますのはジェフだけでいいんだ、間違ってもガウス先輩までだましてしまったら僕らの作戦はとんでもないことになってしまう!」

そうそう! ジョークと皮肉に揚げ足とりが大好きなガウス先輩の手が、トニーの足にまとわりついたらそれこそ足手まといというもの! 加えて念のため、ひとたび悪ふざけを始めると際限のなくなるスクールメイトたちにもこの作戦は故意であることをぜひとも伝えておかなくては!


さてさて。抜かりなくやろうと敢えて気をまわしたことがかえって予想外のとんでもない災難を引き起こすことは往々にしてよくあることです。…といいますのも。やるとなれば身も心も犠牲にして魂の尽き果てるまでやりこむのが変態科学者を生み出し続けているスノーウッドの流儀。世間一般にはヒマ人と呼ばれている人しか思いつかないことをわざわざ穿り出して、そこに要り様もない労力をふんだんに注ぐのがスノーウッドの認める優秀な科学者たる証というもの。

そんなマッドサイエンティストの玉子たちにかかれば、ジェフをたぶらかすのにたかだかポーラがトニーにチョコレートを渡すだけで話がすまされるはずがありません。トニーから話を聞くや否や、ガウス先輩はトニーが止めるのも聞かずに仲間たちを召還します。そしてわいのわいのと大いに盛り上がった結果、ポーラとトニーの小さな作戦はあれよあれよという間に膨れ上がり、長大なロシア文学にも負けないぐらいのとんだ茶番劇に発展してしまいました。


2月の14日。トニーたちの演目は「浮気なポーラと愉快な科学者たち」! コケットな少女演じるポーラに、その恋人1から7を演じるトニーたちと、自らの恋を諦め若いカップルの恋の成就を手伝う老賢者役のガウス先輩。それらがまったく一緒くたになってカフェテリアでドンちゃん騒ぎを始めたのだからたまりません。ガウス先輩が真面目くさって恋に年齢は関係ないとジェフに説教するうちドタドタとトニーの友人たちがなだれ込み、ポーラが次々とチョコレートを渡していきます。よりにもよってポーラスター幼稚園でちびっ子の相手をしているポーラ、乗り始めたら止まりません、チョコレートを渡しながら意地悪く「求愛者」たちを一蹴します。

しかしそうこうするうちに大本命のトニーが颯爽と現れるとポーラの目の色が変わります。ジェフが唖然とするうちに彼女がトニーにベルギー産のスタイリッシュなチョコレートの箱を渡すと…!

そこへ飛び込みトニーとポーラを引き離すジェフ、トニーが口元をゆがめます。さあ何かを言うが良い! 嘆きか、嫉妬か、高慢か! …

「わかった、やっとわかった! 友人としてぼくが君をポーラのパパに紹介してあげるよ! さあ急いでツーソンに行こう、急いで!」

ここで正直に作戦のすべてを明かせばよかったもの、場所が場所で引けなかったのか、それとも役者全員が演技と現実の見境がなくなっていたのか…。ポーラがショックのあまりトニーの名を叫ぶと、トニーはポーラを天使と呼び、トニーの恋敵たちは「あいつは盗人だ!」と口をそろえてトニーを罵ります。呆れつつも乗りかかった船、沈むまで面倒を見ようと律儀なガウス先輩は「おお、ポーラ、ポーラ! 悪い女よ、お前がこの穢れない青年たちをたぶらかしたりしなければ!」と熱っぽく続ければ、カフェテリアに居合わせた全員がわいのわいのの大騒ぎ。挙句の果てにはどこからともなく婚礼の合唱まで聞こえる始末。故意か過失か、恋か加湿か、悪気があるのかまったくないのか、何から何までわからなくなったスノーウッドのカフェテリア!

そのあといったい何があったやら、気がつくとジェフ、トニーにポーラ、それにガウス先輩にトニーの友人たちはポーラスター幼稚園の目の前にいました。
「ぼくはてっきり学芸会のネタかと思って同調してあげたんだよ!」
「君がその優秀な脳みそをもっと別の方面に生かしてくれたら、こんなことにはならなかったろうに!」
「別の方面…!」
ジェフはにっこり笑ってポーラに向き直りました。
「せっかくなんだし学芸会の本番は、ここでやろう!」
「あら、それは素敵な提案だわ! パパもママもきっと気に入ってくれるはず!」
さすがのトニーとガウスたちも、調子付いたポーラを止めることはできません。娘たちの完璧な茶番劇にポーラのパパがすっかりだまされ気絶してしまう頃には、どっぷり日が暮れカレンダーの日付も変わろうとしていました…ところが。

カーテンコールがすむとジェフは改めて「楽屋」を訪問しました。
「仮面舞踏会もはねたところでホンネを聞いておくれ、実はぼくもベルギーチョコ、欲しかったんだ、ポーラ!」
心の中ではジェフの頭を思い切りフライパンで殴りつけながら、ポーラはジェフに負けないぐらいににっこり笑ってバレンタインの箱を渡します。
「これはベルギーチョコじゃないわ、ジャムのかわりにチョコフィリングをつかったリンツァートルテ。ジェフに渡そうと思って大切に手作りしたんだから!」
ありがとう、決まり悪そうにはにかみ、ジェフはいとおしげにポーラの手から箱を受け取ると、ヒロインの手に恭しく口付けをするのでした。

オネーギンのように高慢ちき(今風に言うとツンデレ?)…ではなくてたんに鈍感なジェフをポーラとトニーが懲らしめる話を書こうと思ったのですがいつのまにやらこの様です。。「学芸会」のモチーフはシュトラウスのオペラ《ナクソス島のアリアドネ》からヒントを得たのですが、この話を書いた後クラウス・グート演出の《アリアドネ》を観に行ったら、舞台セットがもろに「レストラン」で…!カフェテリアシンクロ?!なんて一瞬デジャヴかと思ってしまった楽屋裏情報。


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