すてきな幸せ

―2011年8月27日深夜のレッドムーンライブ@カオス劇場―

セットリスト
≪Eight Melodies≫(ウダー)
≪摩天楼に抱かれて≫
≪ウィンターズホワイト≫
≪海の家≫
≪プライヴェートな風≫
≪ラッキーナイスブルース≫

アンコール
≪☆≫  

それはある夏の夜のとんだドタバタ騒ぎ。リラの香りに酔いしれたいたずら好きの妖魔がもたらした、夢のような現実の、現実のような幻想の、小さな小さな大騒ぎ。

「ちょっとネス! ジェフにプーも! 早くカオス劇場に来なさい!」
一番鶏どころか、明けガラスの濁声も響かぬ早朝にポーラから強烈なテレパシーをぶちこまれ、熟睡中であったネスは飛び起きます。海の向こうで夜なべしてこわれたアイロンを修理していたジェフはビックリして自分の指とアイロンの底を溶接しそうになり、雲の上で冥想の修行中だったプーは張り詰めた精神が一気にゆるんで下界に転がり落ちるところでした。

…ともかく。

ポーラの叫び声に眠たい目をこすりこすり、仲間たちはおのおのできるだけ急いでツーソンはカオス劇場に向かいます、ネスは自転車、ジェフは改良版スカイウォーカー、プーはテレポートで。そして7秒後にはプーが、7分後にはネスが、77分後にはジェフが、めでたく劇場の前に集結しました。
「どうしたんだい、ポーラ!」
「これ、今朝、新聞の間にはさまってたの!」
「ってイヤにこったフライアーだな、えーと。今晩カオス劇場にて急遽ライブ決定! トンズラブラザーズ?」
「トンズラブラザーズ!」
「しかし。奴らは文字通りトンズラして以来行方知れずではあるまいか」
「だからおかしいって思ったのよ! カオス劇場の本日の公演も別のバンドの名前になってるし」
「じゃ、ジョーダンだよ、きっと!」
「あの人たちがジョーダンで人をだませると思う?!」
「しかもあまりに見え透いたジョーダンでな」
「それにジョーダンじゃないってことを証明するもっと有力な証拠があるわ、さっきからずうっと、トンズラの音楽が頭ン中を流れているの」
「うん、どうやらポーラの言ってるのは…幻聴ではないらしい」
だってぼくにも聴こえるもん、そう言ったジェフが落ち着き払って指差した先には、巨大スピーカーから渋いブルースをジャンジャン響かせ、通りをずんずん走ってくる真っ黒の巨大なトラベリングバスがありました。

「よー、ボウズ!」
「まっててくれはったんやな!」
トラベリングバスからひょいひょいと飛び降りてきたのは紛れもない、ラッキーにナイス。…って車の運転は確か2人のうちのどっちかが…ネスたちの頭にあいまいな記憶がよみがえった刹那、運転手をなくしたトラベリングバスは舗道をつっきり芝生の上に乗り上げて、ちょうどそこに植えてあったニワトコの大木に激突して止まりました。…すぐその横には着陸の際に墜落して大破した改良版スカイウォーカーの残骸も転がっていたのですが。

「まったくゴミを増やして! ツーソンは自然保護区域に指定されているんですからね!」
腰に手を当てぷんぷんっのポーラ。
「どーすんじゃい、あのクルマ!」
ラッキーもナイスも自分たちの悪乗りに呆れ顔。
「ま、ぽんこつバスはぼくが直してあげるよ」
修理のお仕事が増えて腕が奮えると得意満面のジェフ。

「ニワトコは僕が念じて治してあげるよ」
得意の超力が役に立つとうきうきのネス。
「じゃ、俺は『巻き戻しの気』で、スカイウォーカーの残骸に流れる時間を逆流させ、このスクラップを元に戻すかな」
修行の成果をここぞと見せたいプー。おかげでポーラの機嫌もすっかり元通り。そのとき陽気なバンド仲間がトラベリングバスから降りてきました。
「今夜はいっぱつ、爆弾お見舞いするからなー!」
「楽しみにしててくれよ!」
「♪ゲルト〜それはみんなが欲しいもの〜♪ゲルト〜それがあればみんながしあわせ♪ゲルト〜がピンチで♪ゲルピンだ〜♪」
浮かれ気味のブルース集団がどやどやとカオス劇場に消えてゆきます。
「やっぱりライブは…ジョーダンじゃないらしいね」
「言ったでしょ、ジョーダンでお金とる度胸なんてあの人たちにないわ」
「ポーラはいつも厳しいこというな」
「開場までに芝生の上をきれいにしておくぞ」
「私、チケット買ってくるわ」


日もどっぷりと暮れた午後7時。いよいよカオス劇場の開場です! ライブを楽しみにするファンたちの熱気でただでさえ特別な雰囲気に包まれている劇場周辺、そこにネスのおかげで復活したニワトコが魔術的な香りを強く漂わせています。その馥郁とした香りに四肢も痺れ、ろくに物を考えるのさえ億劫になってしまうほど。劇場の前にはトンズラのファンがつめかけ、整理番号順に列を作って開場を心待ちにしています。―そのなかに、ある白髪の小柄な男性がまじっていることに、ニワトコの香りと劇場独特の空気に包まれた人々は、まったく気がつかずにいました。

ポーラたちは一番乗りで開場に入ります。チケットの半券とドリンクを交換してもらって、ステージの目の前を陣取ります。
「バックステージパス、まだ捨てずにとっといてあるけど」
「有効期限、とっくに切れてるわよ、それ」
「…はは、そうだね!」
「しかしツーソンの水は味わい深い」
開場から開演まではまだ一時間。ネス、ポーラ、ジェフ、プーはそれぞれてんで勝手に思いを募らせ、ときどき思いついたようにおしゃべりをしては、黒ずくめの豪快な6人組がステージに現れるのを待っていました。

照明が消され、冷たい空気ともやのような煙に包まれたステージ。向かって左奥、一段せりあがった舞台の端には立派なキーボード、その横にはウッドベース、ウッドベースの右にはドラム一式、ステージ前方にはマイクがひとつ、さらにマイクの左横にわりかし背の高いテーブルが置かれていました。何の気なしにステージを見ていると、突然関係者と思われる長身の、体躯のがっしりとした大男がサックスを持ってやってくるなり、てきぱきとその管楽器の調子を確かめ、満足したようにそれを、至極大切そうにテーブルにおいて去っていきます。

またしばらくするうち、小柄のみるからに快活そうな男が、「ツーソンの天然水」とラベリングされた500ミリペットボトルを6本抱え、踊るようにステージに現れると、それぞれの楽器の脇にボトルを置いていきます。小男のあとについて先の大柄な男性が再度現れ、汗拭き用のタオルをペットボトルの横に添えます。

「あれは興行主かその関係者なのかな」
「そうだとしたらずいぶんと滑稽ね、いまサックスをもって現れた長髪の彼なんて、そのまま彼が演奏始めたって文句ないぐらいさまになってた」
「興行主にミュージシャンか、そりゃ鬼に金棒、サツに警棒だな!」
「トンズラブラザーズとやらはライブ中ステージにお酒をもちだすようなバンドではないのだな、安心した」
「あ、本格的に調律が始まった! 見ろよ、あの『キーボディスト』」
「あら、裏方さんなのに小粋なファッションね! 紺のキャスケット帽にイカしたサングラスまでかけてる!」
「それに機械の扱いには相当慣れてるって感じだぞ、そら、あんな大量のつまみをぱぱっと確認して太鼓判押すみたいににんまりと笑った、それにしても太っちょだなぁ、ドイツ生まれのガウス先輩に勝るとも劣らずだ」
「ふふん、『ベーシスト』も来たぞ、これはまたとんだ小枝だ」
「まあ、あの『ドラマー』、なんていい顔してるのかしら!」
「ちょ、ちょっと待てよ、ポーラ!」
「あーら、なに嫉妬してんの、ネス!」
「『ベーシスト』は渋いおじさんだなぁ。だけど、腕と耳は確かなようだ。静々と調弦を済ましている。ありゃあ、たいしたものだ」
すべての楽器の調弦が済むと、ぞろぞろと関係者たちはステージから去っていきます。ステージはまた、しばし暗い静寂に支配されました。

『へーい、ナイスなくそったれども! ケータイの電源は切ったかーい? 切ってないヤロウはすぐに切れってんだ! ケータイ持ってないヤロウはなにもすんじゃねぇぞ! ライブの録音、録画は一切お断りだ! ましてやユーチューブとやらにアップしたら承知しねーぞ! ハハっ、よっしゃー、もうすぐ開場あっと、開演だ! 最高級の爆弾、ぶっとばすぜ! んーっっ!』

トンズラブラザーズっ! っと軽快な掛け声で陽気な6人組が現れると思いきや、ちょいとまった! とナイスの叫び声。そしてしばらく沈黙が走った後、ポロンポロンと静かでやわらかく懐かしいメロディが会場内を取り巻きました。びっくりしてステージの端から端に目を走らせると、小柄で華奢な男がたった独り、暗がりの中アンプに腰掛け、黒くて手の中にやっと納まるぐらいの大きさのコイルのような楽器一本で、しんみりとはっきりと、ある一節を奏でているのです。

見果てぬどこかの国でひっそりと消えてしまいそうな孤独な男のよう、しんみりと優しく楽器をなぞる彼。指がコイルの線に触れるたび、楽器はひとつの純粋な音を生み出します。

―ソ…ラ…シ…レ…ラ…。ソ…ファ…ミ…シ…レ…―
―Take a melody…Simple as can be…―

静寂と闇の中で、奏者は微笑んでいるようにも、また真一文字に口をゆがめているようにも見えました。そしてその表情は、会場の人々全員と、そしてこのライブ会場をその大きな懐に抱き黙り込んでいる地球そのものへも向けられているようでした。彼のメロディは遠い昔この地球のなかで響いていたような音で、彼の手の中というよりも、ステージの中央から、いや、平土間の足元からじわりじわりと沸きあがり、聴く者の体に溶け込んでいくような、そんなメロディでした。

「≪Eight Melodies≫」演奏が終わると、ネスがぽつりと洩らします。「うんと遠い記憶のどこかで、いまの曲、聞いたことがある。名前は確か、≪Eight Melodies≫」


ネスが言い終わらないうちに青白い光がステージの四方から発射され、−25℃の保冷庫の冷気に色をつけたような明るみに、すべての楽器が浮かび上がりました。
「トーンズラーブラザーズ! いやっほーい!」
威勢のいい6人組が転がり込みます。とたんにぱっと、青の光がオレンジ色に染まります。それぞれの楽器を抱え、ラッキーとナイスが楽しそうにマイクの奪い合いを演じた後、ぷーっとほっぺたを膨らましたサックス奏者のゴージャスの、まさしく贅沢で重厚な序奏が会場を一直線に突き抜け、付点音符のコミッシュな上行音に、キーボーの力のこもった通奏低音、さらにパーカッションがバババッバンバン・シャンシャシャンとかぶさります。

いよいよライブの開始です!

そのまま主旋律を受け継いだキーボーがノリノリで曲をつむいでいきます。小節が途切れるたびパラッパッパッパラの浮き足立つリズムをサックスが歌います。ベースが重たく安定感のある低音で曲の底を支え、ドラムスが華やかで洗練された都会風の響きで曲に彩を添えます。ラッキーもナイスも軽やかに足を踏み鳴らし、摩天楼のジャングルの中、希望と驚き、さらには新天地でのウキウキ感に満ち溢れた風の踊りを披露します。ハイライトの転調を経て、曲はぐっと深みを増し、キーボーの滑らかな主旋律の下を、ゆったりとした足取りでベースが闊歩します。そして曲は序奏のモチーフを含んだまま冒頭の旋律に回帰し、そしてスマートに、粋な弾みを保ったまま会場の天井に吸い込まれるようにして消えてゆきました。

「≪摩天楼に抱かれて≫、カッコいいなぁ!」
早くも会場内からやんややんやの大喝采。調子にのった太っちょのナイスが平土間に飛び降りようとしてラッキーに止められます。2人の名演が終わらないうちにパーカッションが次の曲のイントロを奏でます。

大都会の摩天楼の抱擁から一転、あたりは一面の銀世界。絶えずシャンシャンと雪の降る音が聞こえます。キーボードの音色が固く冷たいグロッケンシュピールになります。サックスの音は冷たい北風。銀世界をしばらく歩けば眼前には大きな湖がぱっと現れ―とその瞬間すべての楽器が沈黙し、キーボードのソソラシソラーソ…ソソラシソラーソ…がエコーのように水面を走ってゆくと…。

寒い世界は一気に常夏の海岸へ様変わり! ラテン風のシンコペーションにけだるい南国の暑い風がほわわんと吹き抜けます。かったるそうにラッキー、ナイスがマイクを持ってあっちへふらり、こっちへふらり。
―夏休みもおしまいだ、あっという間に見渡す限りクラゲの海!―
ベースの弦が緩んだように力なく歌います。サックスはまるでしぼんでゆく風船のようにぷわわわわーんと装飾音を添えます。あまりのけだるさにドラムスは叫ぶ力もなくて、かろうじてメロディラインを行き来するキーボードも、心もとなく転んでしまいそう。退廃的な晩夏の夕暮れ、セピアに色に染まった空の下、忘れ去られた寂寥感に包まれ海の家がぼんやりと浮かび上がります。海の家へと続く一本道は昼の間に海岸に遊びに来た子供たちに踏み荒らされ、橙色の光が降り注ぐ荒廃した砂浜のうえで一組のカップルがなまめかしく戯れます。

―終わりなき恋の成熟を味わうなら、年がら年中太陽の照り付けるここはぴったりの南国! すると遠くから、春の微笑みに見放された北国の「ソソラシソラソ」のモティーフがか細く鳴り響きます。

ネスは突然、ジェフが羨ましそうに自分を見ているのに気がついて何だよ! と笑いながら叫びます。別に、とジェフは思わせぶりたっぷりに苦笑して「この海の家で」か、とため息を吐きます。北国の生まれのジェフは南国のビーチと暑い太陽に憧れているのです。ジェフの嫉妬のまなざしに今度はポーラも気がついて、ちょっとジェフっと頬を赤らめながら、それでもちゃんと自分はネスの腕をがっちりとつかんで、ジェフの頭をこづきます。いまいち状況が読めないプーは、恋のいたずらにムキになっている3人を無邪気なカナヘビでもみるような目で見つめていました。

舞台の上はけだるくむしむしした暑い砂浜の黄昏から、さっぱりと晴れ上がった乾いた空気の白い砂浜の昼下がりに転じます。ブルース集団のトンズラにしては珍しく、バカラックを思わせるジャズ風のさわやかなメロディがサックスの筒を通ってステージの上を吹き抜けると、チャンチャンチャンズチャンチャンチャンとドラムスが鼻歌を歌い始めます。エレクトリックオルガンのごろごろと真鍮を転がすような独特の濁声が、三拍子のシンコペーションを伴って優雅で時間の流れを忘れさせるような地中海の青を浮かび上がらせます。そしてベースはボン、ボン、ボンとひいては寄せる波の歌を奏でます。 思わずうっとりと聞き入っている内、曲はキーボーの軽快なトリルで閉められわあっと場内は割れんばかりの大喝采に包まれました。


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