電話番

「…どうしてもかい?」

ウィンターズを包みこむ凍てつく夜の空気のなか。こらえきれなくなった本音が喉を突き破ります。それは暗い空を薄く流れる雪雲をも切り裂き、雲の絶え間から月影をさやさやと降らせます。月明かりに照らされ、正門の鉄柵越しに大親友の姿がぼんやりと浮かび上がりました。

「どうしても君は行ってしまうのかい?」


ほんの数秒でも彼といたい、彼と同じ空気を吸っていられる時間を1秒でものばしたい、そう思ったのか、トニーは半ば無意識に答えの分かりきった問いを繰り返すと、かぶっていた帽子をぐいと脱いで胸にギュッと押し当てうつむきました。

「答えに困る質問をしないでくれよ、トニー」その人影はかそけく呟きました。「ぼくだって、そうたやすく、そうだよ、なんて答えられる気分じゃないんだ。…だけど行かなくちゃいけない、まずは父さんのいるラボまで。そこで何か乗り物を借りて、行かなくちゃいけないんだ、イーグルランドのスリークに」
「ジェフ…」

普段はおめでたいまでに鈍感で話し手の心境を察するに疎いジェフのその返事に、トニーは驚き、そして自分でも信じられないほど急速に、掴みがたい狂おしい衝動が収まっていくのを感じました。こうなるともう、無駄な質問をしてジェフを困らせてもならないと余計気持ちが焦ります。

「あのねっ! くれぐれも事故には気をつけて! 海を越えるんだもん、ドライブ・セーフティならぬフライ・セーフティ、だよ!」
「ハハ…ありがとう、トニー。これまで試験や進級で落っこちた経験は一度もないから大丈夫さ」

トニーとジェフがなけなしのジョークの応酬をするうちにも、かろうじて2人を繋ぎ止める月明かりは薄らいでゆきます。

「うん、うんっ、そうだよ…ねっ!」
「おい、トニー、泣くのはよしてよ。なるたけ早く帰って来るから! そのためにも、早く行かせてくれよ。ぼくだって…」

二度も「ぼくだって」を繰り返し、ジェフは不器用にも苦笑します。―ああ、これが自分の本心だ、異国から助けを求める乙女の声が聞こえているというのに、ぼくときたらこの大親友とほんの一時でも別れるのが辛いんだ―しかしこれ以上その大親友と「別れのデュエット」を続けてもいられません。二重唱の間は公然の了解のもと時間が止まる舞台の上とは違い、ここではこくこくと時間は過ぎてゆくのです、なんとかトニーとの別れを潔いものにしなくては…!

「コホン! レディを待たせるのはジェントルマンの名にふさわしくない行いなのだ…!」
「なんだよ、それ!」

突如現れた「ジェントルマン」の言葉に、トニーはとうとう笑い出してしまいました。
―その言葉、帰って来たら3倍ぐらいにして返してやるから覚えておいてよね!―

「ああ、レディといえば」続けてジェフはさらに膝の力が抜けるようなことまで言い出しました。「お昼休みぐらいになると可愛いレディがぼくらの部屋の窓辺に現れるんだ、だけど追っ払わないでやってくれよ、あそこが気に入っているみたいだから」
「…ってちょっと、ジェフ!」
「妬かない妬かない! 君はカフェテリアでずっとおしゃべりしてるから知らないと思うけど、実は今まで彼女はぼくのちょっとしたお気に入りだったんだ」

―もーっ、なんだよ、それ! 帰って来たら108倍にして返してやるから覚えとけよ!―

別れの情緒なんぞどこに吹き飛んだやら、トニーはジェフの頭上で劇薬の入ったフラスコを割ってやりたい気持ちにまでなってしまいました。―ああ、でもきっとこれもそれも彼の悪い冗談のひとつなんだ、感動的な別れは割に合わないから、ちょっとした茶番でごまかして、笑い顔でさよならを言いたいに違いない…気を取り直し、トニーはうんうんとうなずきます。

「君も隅におけないな! ま、いいさ。海の向こうのレディがまってるんだろ、電話ちょうだいね、スリークについたらさ(ギブ・ミー・ア・リング,フェン・ユー・ゲット・トゥ・スリーク)!」
「うん、分かった」

むら雲がすっぽりと月を覆います。まるで幽霊のように、ジェフの影は薄闇にすーっと溶けてゆきました。

* *

♪ぽろろ ぽろろ ぽろろ ぽろろ てーっててー てーってて ててて ててて♪
あの悲しい夜からどれだけの日が流れたやら。どこからともなく電話が鳴る音が聞こえます。まるで手紙を運んでくる郵便馬車の蹄の音のよう、馬の足音にトニーの胸も高く鳴りだします―!

ああ、あれがジェフからの電話だったら…! 電話のベルに鼓動を重ねながらもトニーは自分で自分の心をなだめます。―でも違う、あれは僕宛の電話じゃない、あれはマイケルの携帯の着信音のはず。僕宛でもなく僕の心が待ち望む言葉を運んでくる知らせでもないんだ―それでも鳴り止まない心臓の音にトニーは困惑し頭を振ります。

「もしもあれがイーグルランドからの電話だったら! 僕の大好きな人がいるイーグルランドからの電話だったら、ねぇ、レディ、僕はどうしたらいいんだろう?」


ジェフが別れ際にこいた悪質なジョークは、嫉妬深いトニーの待ち伏せにより呆気なくとるに足らない真実であることが判明しました。彼女はジェフがいなくなった次の日にも何の気なしにやってきた、この寒い雪の中を、どうその柔らかい足を痛めずにやってくるやら、それはふわふわの毛におおわれた一匹のぬいぐるみのような白猫だったのです!

「僕の心はイーグルランドの様子見たさに、ところ嫌わず電話が鳴ると飛び上がるのさ」


それにしてもジェフは! 僕に隠れてこんな可愛いところがあったなんて! 雪のような純白の猫に一時の屋根をかしていたなんて! その優しさをほんの少しでもカフェでおしゃべりに夢中の僕に向けてくれたっていいだろうに!

その白猫は人馴れしているのか、それとも猫は人ではなく場所につく、とよく言ったものか、構ってくれる相手がジェフからトニーになっても全くおかまいなしでした。そこでトニーはカフェでのおしゃべりを止め、ほぼ定刻で現れるレディをカフェのミルクでもてなすようになったのです。

それにしても…自分はこうやって友人の頼みを聞いてあげているというのに、ジェフはいつスリークについたやら電話の一つもよこしてくれないなんて! あまりにも不公平すぎる!

レディの首の後ろをカキカキしながらぷっと膨れ面をすると、白猫はツンとすまして横を向き、香箱状に折りたたんでいた前足をすっくと伸ばして立ち上がるや否や、さっとトニーの指から飛び退り、雪の白に吸い込まれるようにして帰ってゆきました。そのそっけなさたるやこれまた雪のごとく冷たくて。それでいてトニーが知らんふりを決め込んでいると、ゴロンと横になって背中を弓なりに丸め、遊ぶようせがんでくるのです。

構ってほしいやら、放っておいて欲しいやら、猫の心はジェフのそれとそっくりで…。

トニーはまたしてもドキッとします。やはり、ジェフの別れの文言はトニーを懲らしめてやろうと捻り出されたたちの悪いブラックユーモアであの猫とは関係がなく、あの白猫は、あの夜、幽霊のように闇に溶けたジェフの、トニーへの恋慕が化けて現れるようになったのではないか? 人を想う気持ちが強まりすぎてなにがしかの形で相手の前に現れることは古今東西、どこでも聞かれる怪現象のひとつ。

遠い国でははるか昔に、都を追われたとある公卿が、庭の梅に「にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠んだところ、その梅は春を忘れるどころかあるじを追いかけ、その左遷先まで飛んで行って咲いたとか。

―あの猫は確かに雌猫だ、でも「彼女」だからこそジェフの化身だと考えられるんだ。僕には見せてくれないジェフの母性…というのか女性的なところが、雌猫に化けてやってきているのかも―…


♪トッテトトテート トトテト トテート トッテトトテート トトテト トテーテ♪

うわ、また着信音だ、ただ

♪トッテトトテート トトテト トテート トッテトテート♪

でさえいま胸がドキドキして

♪トッテトトテート トトテト♪

るのに、つり橋効果な

♪トッテトトテ…♪

らぬ着信音こう…

♪パシャッ ポチ にゃ〜♪

「違うっ!」

いきり立ってトニーが振り返るとそこはクラブメイトの同期と先輩のたまり場状態。つまりはトニーがカフェでのおしゃべりを止めたのを不審と不満に思った話し相手たちが、お昼休みの間、カフェにこもる代わりにジェフとトニーの部屋に入り浸るようになってしまったのです。ざっと見てガウス先輩にペーター先輩、それからマットにウォルター。クラブメイトのなかでも難物中の難物どもです。

「なんでみんなそろいもそろっておんなじアプリを微妙にタイミングずらして立ち上げるんですかっ! っていうか、いま、猫の鳴き声!」

「トニー、お前知らないのか、このアプリ」
呆れるあまり眉間が延びるガウスさん。

「庭先にごはんとおもちゃをおいて地域猫を集める癒し系アプリだよー」
生けるスノーウッドの伝説にそぐわぬ脱力発言を連発のペーター先輩。

「仲良くなった猫からは『たからもの』もらえるんだぜ」
一応は善意で答えてくれる同期のマット。

「あ、でもトニーはいまそこで本物の猫と遊んでたから…」
十中八九、余計なことをのたまうウォルター。

「ああ、なるほど、リア充ってやつか!」

ガウス先輩のとどめの言葉に、二次元の猫を集めては喜ぶクラブメイトたちはどっと笑い出しました。

「僕はまだガラケーなんですッ! もーっ、マイクもマナーモードにしといてくれないし! 老婆心から言わせていただきますけど! 授業中に鳴りだしたら先生から尻たたきなんですからねっ!」

烈火のごとく噴火したトニーはドンドンと次の授業の道具を机にたたきつけ、あの白猫にも劣らぬ機敏さでさっと身を翻すと、教科書をひっつかんで部屋から出て行ってしまいました。

「ジェフからの電話番で着信音恐怖症か、ホント、羨ましいぐらいだ」

乱暴に閉められたドアの癇癪音に、マットの憐憫の込められたため息もすっかりかき消されてしまいました。

*  *

「あーっ、もーっ、全くぼくとしたことがぁーっ!」

ドラッグストアの公衆電話の前でジェフは頭中の毛をかきむしり、普段なら絶対に上げないような品のないドラ声で吠え猛りました。

「まあ…まあ…少し落ち着けって、ジェフ…!」
「そうよ! ちょっと外に出て、美味しい空気を吸いましょう!」

ネスとポーラが力ずくでジェフをドラッグストアから引きずり出します。

悲しい哉、トニーと別れてスカイウォーカーで海を越えスリークの墓場をぶち抜き、ネスとポーラを助け出して冒険を共にするようになってから、ジェフは公衆電話を見るたびにこうやって1頭の虎と化し、悪い妄想にとりつかれたように完全トランス状態に陥るのです。

―悪夢の正体はほかならぬトニーへの電話。よくよく考え…なくともわかることなのですが、ジェフの住むフォギーランドとここイーグルランドは海を隔てた他国関係。イーグルランドからフォギーランドに電話をすれば当然それは「国際電話」となり、特別な前置きと多額の通話料が必要。そしてジェフはその「特別な前置き」を知らず、おまけに彼にはその「多額の通話料」を払うだけの財力もありませんでした。

トニーが電話をよこすように言ったとき、ジェフは自身のIQの高さに似合わず頭のネジが少し緩んでいたようで、その電話が国際電話になることに気が付かず、おかげさまで彼はこんな初歩的なところでけっつまずき、結果として大切な親友を「着信音恐怖症」で苦しめることになってしまったのです。


人気よりもあるくキノコ気の多い小さな森のなかにジェフを落ち着かせると、ネスとポーラはため息をつきます。

超能力を使える2人であれば、海の向こうであろうが、空の彼方であろうが、テレパシーを飛ばして通信することが出来ますが、残念ながら科学者の子供であり卵でもあるジェフには超能力なんぞ備わっていません。ポーラからのテレパシーを受信できただけでも有難いことなのです。

一縷の望みにしがみつく思いでポーラが「トニー」というジェフのルームメイトにテレパシーを試み、ジェフからの伝言を届けようとしましたが、どうもその「トニー」の心はざわついているらしく、テレパシーを受信できる状態ではない、と彼女は匙を投げてしまいました。

「テレポートも僕が行ったことのある場所でないと行けないしなぁ…」

時折ホームシックに襲われるネスも、トニーに想いを寄せるジェフの姿に身がつまされ、なんとか彼を助けてあげたいと「国際電話」のかけ方を調べるべくオネットの中央図書館に足を運んだのですが、あいにくとその小さな田舎町には他国に電話をするひとがいないらしく、「国際電話をかける本」を見つけることはできませんでした。


「ねぇ、ジェフ。本当にそのトニーさんは電話ちょうだいって言ったの?」
ふいになにか気が付いたようにポーラが振り向きました。
「トニーさんももし国際電話のかけ方を知らないとしたら、おあいこじゃないかしら?」


―言われてみればそれもそうです、もしもトニーがスリークからウィンターズへの電話がかなりややこしいものであると知っていれば、そう軽率に「電話ちょうだい」なんて言わなかったでしょう、落ち度はトニーにだってあるはずです。


「言ったよ、『ギブ・ミー・ア・リング,フェン・ユー・ゲット・トゥ・スリーク』って」
「え、待って! コール・ミーとかじゃなくて、ギブ・ミー・ア・リングって言ったの?」

柔らかい野草の上に寝そべって雲を眺めながら空からでも名案が降ってこないか待っていたネスが、ジェフのその言葉に青天の霹靂さながら、鬼の首をとったように跳ね起きました。

「それってリングはリングでもリング違いじゃない?」
ネスの驚き発言にジェフもまるで目と耳から鱗が落ちたよう。
「えっ、じゃあ電話じゃなくて指輪ってこと?!」
「あら、トニーって女の子だったの? でもスノーウッドって男子校なんでしょ?」
「…って、ちょちょっとタンマ、ポーラ!」
「えーっ、ジェフ! 君って実は隅におけないんだなぁ」
「それ、トニーにも言われた…って、違うっ、トニーの名誉のために誓うけど、『ギブ・ミー・ア・リング』って言われたんだ!」

あらぬ方向へ話題が展開しそうになり、ジェフは声をうわずらせ、「ア」をことさら強調しました。

「ごめんごめん、アってことは特定指輪じゃないのね、びっくりした。それじゃあ、お土産に指輪でもちょうだいってことかも」
「ううぅ、トニ〜、君はいつだってぼくより上手なんだから〜」

すっかり全身の力が抜けてタコ踊りのようになっているジェフの隣で、それじゃあ善は急げだ、さっそく指輪、買いに行こう! と草の上にくるっと立ちあがったネスはつま先を地面にトントン鳴らしてやる気満々。やっとこれで、大切な仲間を大きな悪夢から救ってあげられる、そう思うだけで、ネスの心は踊り、頭はすっかり晴れ上がっていたのです。

* *

「ジェフ、今日もまた来てくれたんだね」部屋の窓を開けてトニーは白猫を部屋に招き入れます。「今日は一段と寒かったろう、君は暖炉の前に丸くなってなくていいのかい?」

おや、なにかを銜えている…トニーはレディの口元で鈍く銀色に光るなにかに気を留めながらも、彼女をそっと暖かい床に下ろしました。するとその白猫は、まるで大切な宝物を手渡すように、日ごろ何かとよくしてくれるトニーの手に、そのなにかをすべり込ませたのです。

―仲良くなった猫からは「たからもの」がもらえる―

マットの言葉を思い出し、トニーはくすっと笑います―君は本当に、アプリに出てくる猫みたいに、可笑しいことをしてくれるんだね!―そう思いながら「たからもの」をまじまじと眺めているうち…


トニーの胸が鳴りだしました。


―どうしてだろう、この部屋付近はもう、携帯電話はマナーモードに設定のうえ、電源をお切りください空間にした、僕の心を飛び上がらせる大元凶はすでに締め出しを食らっているはずなのだけど―

長短相乱れた複雑な心境にトニーが困惑しているのを気にも留めず、白猫はゴロゴロと喉を鳴らしながらトニーの足に頭をこすりつけました。

―だって君は言ったじゃないか、ギブ・ミー・ア・リング,フェン・ユー・ゲット・トゥ・スリークって―

足元から懐かしい大親友の声が聞こえたような気がして、トニーはドキッとします。

―ギブ・ミー・ア・リング…って! 僕は…。ああ、ジェフ、君はいつだって僕より上手なんだから!―


そっと白猫の「たからもの」を指に通すと、トニーはうつむきはらはらと涙を流します。端と端がつながっている「リング」、これはジェフがどこにいようとも永久にトニーと一つつながりの証に違いなく、そしてあの夜、同音異義に知らず知らず込めたトニーの本音にも違いなくて。

「…やっと、僕の頼みを聞いてくれたんだね、ジェフ」


春の泡雪のような声を猫の頭にふんわり降らせ跪くと、トニーはやんわりと白猫の小さな額をなでてあげます。先刻涙の伝った頬はもうすっかり乾ききり、梅の花のような笑みでほんのりとつりあがっています。そんなトニーを見上げる、真雪と見まがうぬいぐるみのような猫の体は、その日も一点の汚れなく、まばゆいほどに光り輝いているのでした。

トニーの日記念のお話です!…がまたしてもジェフやら猫やらせりだしている感が。。診断メーカーでジェフとトニーで「片方が猫で、もう片方がその飼い主のパラレル」を書いてください、と診断されたので「ねこあつめ」と化け猫のモチーフにして昇華させました。ただし白猫がホンモノなのか、本当にジェフの化身なのかは読者のみなさまのご解釈にゆだねます!
Give me a ring, when you get to Threek. はもう何年も前のNHKラジオ英会話入門で出てきたフレーズをThreekの部分だけもじったもの。聴いた当時、これ、トニーがジェフに言ったらエンゲージリングを期待しているようにも聞こえまいか?!と相当盛り上がったのを今でも覚えているのですが、よくよくみてみたら、the ring ではなく a ring と書いてありました(苦笑)


inserted by FC2 system