愛すべき男

悶々。いまのオレの気持ちを簡単に表現するならこれが最適だろう。うん、まったく、心が門に閉ざされて苦しんでいるわけだ。それもあろうことか二つ! つまり肯定すべきか否定すべきか。分からん問題だ、ちょうどこんな具合に―オレは近くの木を殴り倒す―オレの心を閉じ込める門をへし折れたら気持ちはだいぶ楽になるんだけどな。

頭上でちーちー啼く小鳥の言葉、理解しようと思えば出来てしまう気まずさにクマトラは慌ててへし折った木を「超力」で復活させるとその場を離れました。大木をも殴り倒す乙女らしからぬ怪力に加え、大岩をも吹き飛ばす超能力を持つ向かうところ敵なしのクマトラ、顔すらも知らない両親が与えてくれたその勇ましい名前の示す通り、男勝りという言葉でさえも形容し尽くすことのできない怖れを知らぬ勝気な少女。…でもそれはもう過去の話、とうとう彼女はこの前「怖れ」というものを知ったのです、それもかなりはっきりと。思い出すのももったいないぐらいに…。

物心付いたときからマジプシーたちに囲まれ育てられてきたクマトラ。友だちといえば薄気味悪いオソヘの城のお化けたちと、陰気なテリの森の動物やドラゴたちのみ。身の回りの世話をしてくれるウエスじぃ以外、この世の男性はすべてマジプシーに代表される女装した「生き物」でしかないと思いこんで来た彼女。それ以上の男性なんか知らなくても生きていけると思っていた彼女。しかしウエスじぃの実の息子、ダスターと目を合わせたとき、その天下無敵のおてんば娘はすべての力を失ってどうしてよいやら分からなくなってしまったのです。

―母さん、オレはついに男を知っちまったよ。困惑のあまり、一瞬、彼のことをどんなまじめなオカマかと勘違いまでしたぐらいさ、オレにとっての男ってのはこれまでマジプシーたるオカマか、ウエスたるじじぃ以外なかったからな。でもあいつはオレの知らない、つまり正真正銘の男だった。風采は上がらんし、片足は悪いし、その足も腐った納豆定食より臭いし、おまけに口臭までする善良なドロボウさんさ。実際、世の中のお姫が歓声を上げて恋焦がれる白馬の王子でもなければ栗毛馬の王子でもなんでもない、単なるオッサンだ…! ああ、そうだ、あのぼさぼさのあいつが、単なる男でなかったら、オレはきっともう少しまともにあいつに太刀打ちできただろう。 だけど、残念なことに、あいつは本当に、単なる男であって、それ以上でも以下でもないときた。

母さん、母さん、どうかオレを助けてくれ。男がいる、オレの怪力や超能力でも負かすことのできない、とんでもなく単なる男が!―

「クマやん、シンコクな顔してどしたの?」
天使の呟きにクマトラがげっと飛び上がってあたりを見回すと、いつの間にやって来たやらそこには愛おしいリュカの顔。この可愛い少年はきっと、世の女はみんなオレみたいな「勝気な生き物」だと思っているんだろうな、まあそれはオレの知ったこっちゃない。いつか今のオレみたいに本当の「乙女」を知って悶え苦しめばいいだけの問題だ。…だがまてよ、どうせならまだ「乙女」も「怖れ」も何も知らないこの清らかな天使さまにどうすればいいか聞いてみる手はあるな。

「ちょっと悩んでいるんだ、リュカ。はっきり言ってしまうが…」
「オッサンだねっ! クマやんのこと探してたよ! 早く会いにいってあげなよ!」

この正直者! いんぐりもんぐりリュカの頭をげんこつでこねくりまわしながらクマトラの気持ちはしっかりと固まっていきます。―そう今日はバレンタインデー。世の中の女の子が意中の男性にチョコレートをあげて想いを伝える日。長いことテリの森をうろつきまわって思い悩んでいたことはずばり、ダスターにチョコレートをあげようかあげまいかということ。それはつまり…。

つまり、あの単なる男がオレにとって意中の男性か、そうじゃないかってことだ。普通、お姫というのは突然現れる白馬の王子か栗毛の王子を意中の男性にするってんで相場が決まっているらしい、それがメロドラマにおける偶然性のナントカ、カントカ…。まあいい、オレは姫だったはずが、白馬でも栗毛馬でもない、単なるオッサンに惚れこんじまった、それが赦されるものなのかオレは知らんよ。だけどあの単なるオッサンに怖れを抱いてしまった以上、彼はオレにとって意中の男でしかないんだ、ハハ、悪かったなお姫と王子の恋物語。オレたちの恋はメロドラマでもなんでもないってことだ、うん、ただそれだけなんだ、そういうことにしておけばよい。よくよく考えてみればオレは、オソエの城の由緒正しき姫でもなんでもない、単なる女のクマトラさまなんだからな!

マジプシーたちにキャーキャー囃したてられながらなんとかかんとか作り上げた、生まれて初めての生チョコレートケーキ。それを大切に、ケーキボックスに包んでリボンを結わえて。まさしくこれが、乙女たる初々しい恋心と勇み勇んでダスターのもとに向かいます。

「えっ! チョコレートケーキ? しかもお前が作っただと…!」
クマトラからケーキを受け取りダスターは困ったように頭をかきます。
「まいったなァ、何といっていいか、そのう…だな」
「言っとくけど…別にオレ、オッサンのこと…」
「いや! 天変地異の前触れか、いよいよ最後の審判も近いんじゃないかって、不安で不安で!」





「…で」
クマトラからもらったチョコケーキをもぐもぐしながらリュカはつぶらな瞳を輝かせます。
「オッサンはクマやんタコ殴りの刑で全治7年の大怪我を負ったってわけ?」
「あのアホのための悶々に費やした時間が帰ってくるなら、オレ、一生男のままでいいや」

もはやいったい…どうしてこんなことになってしまったの;なMOTHER3バレンタイン創作であります。きっと元ネタは《ジークフリート》あたりにあると思うのですが、なぜそれが想起されたのか…当時を振り返ってみてもまったくもって思い出せませんです(苦笑)


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