白鳥の騎士

雪の降り積もる音楽の都。新年のコンサートにワルツの王様、そして甘い甘いチョコレートケーキとコーヒーで有名な、誇り高き洗練された東帝国―ウスタライヒの大都会。…大都会といってもニューポークに比べたらはるかに小さな古風の街です。すべてを見てまわるのに一週間は必要なニューポークにくらべて、ここは一日で街を一周できます。地図がなければ絶対に迷子になるニューポークと違い、ここは気ままに歩いても道に迷うことはありません。人工都市ニューポークには緑も自然も全くありませんが、この街の通り沿いには街路樹が植えられています。今は銀色の衣をまとっている街路樹もきっと初夏には優しい緑を演出することでしょう。ニューポークの広いアスファルトの上は四輪の機械しか走りませんが、ここではござっぱりした石畳の上を雪を掻き分け掻き分け辻馬車が走っています。おとぎ話の挿絵から飛び出してきたような石造りの建物はどれも中世さながら。遠い昔にタイムスリップしたようです。

「懐かしいな、僕が昔住んでいた村もこの街のように素朴で時代遅れの流儀に包まれていたよ」
バレンタインの朝、メイドのマシュマロとこの東帝国に遊びに来たしきかんどのは幼さの残る頬をゆるめて笑みを浮かべました。しきかんどのの片目は数年来視力を失っています。彼がニューポークで「じっけん」を握るにはどうしてもその片目を犠牲にしなくてはならなかったのです。
「あのころの記憶はもう、ずいぶんと薄れてしまっている。いや、気にしないでくれ。…ケーキ、食べに行こうか」

伝統ある老舗の喫茶店に入りザッハトルテを頼みます。クリームの浮いたコーヒーをすすめながら2人は楽しく話に花を咲かせます。
「ニューポークはいい街だ、でも僕はこの街も気に入っている。誰一人付け上がろうとはしない、それなのに自分の国の文化に誇りを持っている」
「これからニューポークもそのような街にしていくとよいです! それができるのはしきかんどのだけですわ」
「ありがとう、君はいつでも僕の気持ちを分かってくれるね」
「だって私、しきかんどのがニューポークでじっけんを握ったときからずっと、しきかんどのにお仕え申し上げているのですよ」
「そしてこれからも、ずっと僕を助けておくれ、僕がニューポークを誇りと伝統に支えられた素敵な都市にしていくのを」

ニューポークにいたらこんなにも屈託なく本音を言い合うことは出来ないでしょう。

指揮官とは名ばかりに、ニューポークを動かしているのは姿を見せないキングPさまと無数のブタマスクたち。最終的な決定を下し、幹部に命令をするのはしきかんどのの役目ですが、そのしきかんどのにああせい、こうせい計画を指示してくるのはブタマスクたち。つまりはしきかんどののじっけんはあってないようなもの。しきかんどのが自分の理想を語れば「それはいけません、われわれはそんな生ぬるい理想ではいけないのであります!」の一言で撤回されてしまいます。…ニューポークは、一種の軍事帝国なのです。

「昔、ここには大きな帝国があったらしいね、だからいまでもここは東帝国と呼ばれているんだろう。その帝国はね、侵略戦争を一度も行わなかったらしい。他国から攻め込まれたときにはやむを得ず戦ったけれどね。自分から異国を制圧に行く事はなかった。…僕はその帝国の手本に習いたい、キマイラであの素朴な島を侵して行くのには実は賛成じゃないんだ」
言いながらしきかんどのは自由な片目をうるませます。
あの島、どことなく懐かしさを感じるノーウェア島。断片的な記憶の中で、なにか大切なものを置き忘れてしまったあの島。でもそれが何かは思い出せない。いっそそれすら忘れてしまえたらどれだけ楽なものか! 智恵の水を飲み神々の長となる代償に片目を差し出した北欧神話のヴォータンと違って、僕は虚構の「じっけん」のために片目を差し出した。自分が神になりたいとは思わない、だけど。せめてヴォータンのように名実ともに指揮官殿になれたら! 

…いや、そんなことは考えないでおこう。いつかきっとニューポークを、軍事帝国でない、自国の伝統に誇りを持つ素朴な流儀に支えられた平和で戦嫌いの国にするのだ。そうしてノーウェア島と和解しよう、講和を結んであの島と友だちになるんだ。それから置き忘れたものを探しに行こう。 なにも急ぐことはない、なにか大きなことをするのにはそれなりの時間と大きな犠牲に甘んじなくてはならないのだろうから。

「今夜はオペラでも観にいこう、せっかく音楽の都に来たのだからね」


神秘的な前奏曲で幕が上がります。異教徒の魔女によって弟殺しの罪を着せられた王女を、白鳥の引く船に乗って天より使わされた騎士が救います。自分の名前を尋ねないことを条件に騎士は王女と結婚しますが…。魔女は王女に疑念の心を植えつけ、有名な婚礼の合唱が終わると、王女はついに禁じられた問いを発してしまいます。王女に名前を尋ねられた騎士は至極残念がり、自分は聖杯王パルジファルの息子ローエングリンと名乗ると自国に帰っていきます。

すると騎士の船をひいてきた白鳥が王女の行方不明の弟となって現れます…王子は魔女の魔法によって白鳥の姿に変えられていたのです。


「弟殺し…か」
僕にも弟がいたような気がする。誰かに殺されたのか、それとも殺され魔法によって姿を変えられたのは僕のほうか。ああ、僕は自分の名前さえも忘れてしまった、白鳥の騎士は自分の名前を聞かれることを拒んだけれども、僕はむしろ名前を聞かれたら困ってしまうのだ。もしかしたらあの島に置き忘れたのはその名前なのかもしれない。…


雪の降る音楽の都。夜もふけた頃にオペラハウスをあとにしたしきかんどのは、今宵最後のわがままとマシュマロの腕に身を任し、しばし悲しみの涙に暮れるのでした。

バレンタイン創作なのですがなぜかしきかんどのがマシュマロちゃんをデートに誘っているちくはぐバレンタイン(欧米風でしょうか)。最後にはオペラに連行です。「生き別れの兄弟」ということで《ローエングリン》が選ばれました。この話書いた後、日本に、クラウスて名前のテノール歌手がローエングリン唄いに来られた時には無性にむずかゆくなりましたとも;;←


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