お月見

初秋の涼しい風がカタカタと建付けの悪いドアを揺らします。小さな格子窓を通して差し込む月の光がほの暗い部屋の床に白いしみをつくります。暗がりで石臼を廻していた徹さんはふと手を休め、柔らかく優しい溜息を吐きました。年に似合わぬ重労働に腕がじんわりとしびれます。この時期にだんご粉を挽くのは毎年のこと、そんな慣れきったはずの仕事もここ数年、齢を重ねた彼の体には重たくのしかかってきます。

疲れた腕を休めていると、風のいたずらに混じって無邪気な秋の虫たちの大合奏が聞こえてきました。遠くから聞こえる鈴の音はリーンリーンと澄み渡り、それにあわせてギッチョンギッチョン響く弦の音は自然と耳に心地よく。すぐ近くからはコロコロリンコロコロリンと絶え間ないグロッケンの音が聞こえます。

けれども。

虫たちの交響楽にうっとりと聴き入っていた徹さんは、部屋の片隅からいやに大威張りに突き抜けた鐘のチーンチーンのふた音ではたと我にかえりました。柔和な口元が緩やかに曲がります。
「おやおや、また遊びに来てくれたのかね」
ゆっくりと重い嗄れ声で独りごちると、徹さんは重たい腰をあげ音の聞こえたほうに足を向けます。暗がりから一匹の小さなカネタタキがおどけたように飛び退きます。それを絹のようなまなざしで見守って、彼はポケットに手をやると野菜の削りかすをひとつまみとりだしました。

カネタタキが床の上にまかれた野菜にかじりつくと、太った馬丁は満足したように微笑んで石臼のもとに引き返しました。外ではまた、虫たちの合奏が始まっています。甘美な音色に耳を傾けながら、徹さんはまた作業を開始しました。

虫の音に混じって、ホンモノの楽器の音が聞こえ始めたのはそれからすぐのこと。柔らかいヴァイオリンの弦の音に、優しいギターがかぶさって、それに転がすようなグロッケンのきれいな音が乗っかります。途方もなく愉快で軽快な音楽に徹さんはまた仕事を中断しなくてはなりませんでした。
「おやおや、秋風に混じって飛び込んできたいたずら坊主はお前たちだったのかね?」
徹さんの仕事部屋に転がり込んだ3頭の馬たちは嬉しそうに目を輝かせてうんうんと頭を振ります。

ヴァイオリン奏者の栃栗毛ヴァルにギターをつま弾いていた陽気な栗毛馬ヘル、肩からグロッケンを下げていたのはその楽器の純粋な響きに負けず劣らず素直で純朴な芦毛馬のトル! 馬たちは楽器を下すと愛する徹さんをぐるっととりかこみました。
「徹さん、どうか僕らにもお手伝いさせてください!」
「だけどお前たち…」
「ならばせめて、徹さまのお仕事に一興添えさせてください!」
やれやれ困ったねぇ、嬉しそうに肩をすくめると徹さんはうなずいて馬たちの頭をよしよししました。

馬たちが加わると暗かった部屋がぱっと明るくなります。徹さんお気に入りのモーツァルトのアリアをいくつか奏でて、馬たちはご主人さまを大満足させました。

「少し休みにこっちへおいで、ボクの可愛い馬たちや。せっかくだからお前たちに十五夜のお話をしてあげようね」

『魔笛』のパパパのアリアが終わると徹さんは甘い声で言って馬たちを呼びました。楽器を置いてトルたちはご主人さまに駆け寄ります。十五夜はお月さまに今年の穀物の収穫を感謝する日なんだよ、徹さんはほほ笑んで続けます。

「お月さまは美しいだけでなく…」
「お野菜を育てるのにはお天道さまの微笑みと雲のしずくに加えてお月さまのシャワーが必要だからね!」

トルが徹さんのマネをして付け加えると徹さんもヘルもヴァルもどっと笑ってトルにはかなわないやと感心します。

「秋にはお米やお芋がたくさん獲れるから、感謝の気持ちをこめておだんごや里芋をお月様と神さまにお供えするんだよ」
「たしかにだんごって月みたいにまんまるだもんね」
「和菓子が自然の食材からつくられて花や葉っぱやお月さまの形をしているのは自然に対する感謝の気持ちの表れ!」
ヘルとヴァルも続きます。
「おやおや…お前たちはボクなんかよりはるかにハクガクだねぇ!」
「でもなんでススキをお供えするのですか?」
「ススキは稲穂の形をしているからだよ、もっとも、稲穂を飾っても大丈夫だけれどね。それからススキの切り口が魔除けにもなるんだよ。それにススキ、つまり尾花は秋の七草でもあるからね」

ぴょんとはねあがり、馬たちはいたずらっぽく笑います。

「ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、クズ!」
「頭文字をとって『ハスキーなおふくろ』!」
「お前たちはボクをからかうつもりかい!」
目じりに涙まで浮かべて笑いながら徹さんは愛馬たちの頭をコツンコツンと軽く小突きました。

馬たちの無邪気な励ましに助けられ、徹さんの粉挽きはぐんとはかどりました。思っていたよりずっと早く楽しく終わったよ、そう言うと彼は粉を紙袋に移して、さあ、もう寝ようね、と馬たちを促します。
「明日はみんなでおだんごを作ろうねェ!」
ご主人さまの提案に躍り上がって、トルたちは楽器をかかえ馬小屋に走っていきました。


さあ、夜が明けたらおだんごつくりです。 馬たちは徹さんのお台所に飛び込んで勇み勇んでお手伝い。夕べ挽いただんご粉1カップに、冷たいお水を100ミリリットル。それにお砂糖を30グラム加えてよく練ります。繊細なトルが滑らかな蹄(て)つきでしゃもじを動かしてボウルに入った粉をこねあげます。

その間に徹さんは蒸し器の準備。蒸し器から湯気があがったところで布巾を敷いて、トルのこねた生地をいれて強火で20分。生地を蒸しているうちに徹さんはクッキングシートにサラダ油を塗ります。

「すり鉢でつくのも一つの方法なのだけれど」
彼は苦々しい声で言います。
「するとすりこぎやら鉢やら手にぐちゃぐちゃの生地がついて大騒ぎになってしまうからネ!」
蒸しあがった生地をシートで包み、さらに上からぬれ布巾をかぶせます。力持ちのヴァルとヘルが代わりばんこで力をこめて生地をこねてならします。最後にならした生地を細長くのばして。 それを徹さんが丁寧に15個に切っていきます。徹さんが切った生地を丸めながらトルは首をかしげます。

「十五夜だから15個なんですか?」
「そうだよ、トルや。十五夜とは新月から15日目の月という意味でね、ずうっと昔はお月さまの満ち欠けにあわせて暦がつくられて、畑仕事が進められていたから、新月から何日目という数には大きな意味があるんだよ」
それに、と彼は付け加えます。
「満月の数を数えて12個作るという考えもあるんだよ」
でもおだんごの量は多いほうがいいだろ? 甘党のご主人さまの言葉にトルたちは大きくうなずいてみせました。

トルが丸めたおだんごをお湯で2、3分ゆでて三角錐にならべます。昨日ヴァルが摘んできたススキに「ハスキーなおふくろ」いえいえ、秋の七草を添えて花瓶にかざります。お月見だんごとお花を一緒に縁側にお供えするともうあたりは真っ暗になっていました。

秋の夜空に上ったまん丸のお月さま。綺麗なお月さまの光にトルたちは思いついたように楽器をとりにいきます。今宵はヘルとトルは横笛。ヴァルの美しいヴァイオリンにあわせて柔らかな音楽を天におくります。クロード・ドビュッシーの≪月の光≫! 愛馬たちのあどけなくも繊細で淡い旋律と月からの優しい光に包まれ、徹さんは疲れた体を縁側に横たえうっとりとほほ笑みます。

「今年の夏は」彼は細い息を吐きだすようにか細い声で呟きました。「お天道様が容赦なく照りつけて辛い思いをしたものだよ…酷暑の不作をどう神さまにわびようか幾度となくボクは考えたものだけれど」
穢れのないボクの愛馬たちのおだんごと、そしてあの子たちの胸からほとばしったこの美しいメロディが、きっとすべてを浄化してくれるだろう。安堵と喜びに陶酔しうとうととまどろむうち…。

「徹さま! おだんごいただきます!」
「ま…まって、トルや! まだたれをかけてないよ…!」

すっとんきょうな愛馬の声に飛び起き、太った馬丁は苦笑します。カッコウがムクドリの卵を食べるように、まっしろのおだんごを飲み込む愛馬たちを、彼は止めることなぞまったくもってできやしませんでした。

徹さんとトルヘルヴァル創作、お月見編です(なんだいそれは・笑)。
徹さんが愛馬たちとおだんごを作るお話を書きたいな…と思いまして♪話の前半、3分の一ぐらいは暗い部屋で独りだんご粉を挽く徹さん。秋の情緒あふれる夜なべはロマンチックで書いていて楽しかったです。徹さんは孤独なムードも似合うな〜と思いつつ。後半は本題の調理実習!徹さんは一応、もと厩務員で引退後隠者の身になり、ほそぼそと家庭菜園をしている音楽好きなおじいちゃんの設定なのですが、あまりに生活が質素でどうも家庭に電子レンジを置いてなさそうで!おだんごのレシピ、電子レンジを使うものもあるのですがとりやめましたです(苦笑)


inserted by FC2 system