ある夜の小さないたずら

遠い遠いどこかの国に、とてもとても変わった村がありました。その村のどの家にも、必ず一つは馬小屋があって、そこに住んでいる人たちはみんな、中型犬ぐらいの大きさの馬を飼っていました。馬たちはそれぞれのご主人さまのもとで、ご主人さまのお手伝いをしながら暮らしていました。

この村にはこんな言い伝えがありました。その昔。村に一頭の子馬がやってきました。馬は村の中のある貧しい農家にもぐりこみ畑をめちゃくちゃにしてしまいました。馬のいたずらにほとほと困ってしまった農夫はなんとかその悪馬を鎮めることはできないかと考え、馬に話しかけました。

『よういたずら者のチビちゃんよ、君に美味しいお菓子をあげるから、どうかこれ以上家を荒らすのはやめてくれないか?』

お菓子を受け取った悪馬は大喜びで村を後にしました。あくる日、農夫が畑に出てみますとどうでしょう! 散々荒らされた畑がすっかり元に戻っているばかりか、畑一面にありとあらゆる野菜が植わっていたのです。野菜は飛ぶように売れ、農夫は村一番のお金持ちになりました。

それからというもの、村では毎年10月31日に各々の家の馬たちがそれぞれあの手この手を使って飼い主さんにいたずらを仕掛けるようになりました。愛馬の悪さにまんまとやりこまれてしまった飼い主さんは、お菓子を愛馬にふるまっていたずら坊主を追い払い、一年の無病息災をお祈りして、人馬ともに馬の神様からの祝福を受けるのです。そのためこの日はハイゲルナハト、すなわち「聖なる夜」と呼ばれていました。

「聖なる夜なんだ!」村はずれの小さな家の馬小屋の中からひときわ快活な声が聞こえてきました。「今晩はハイリゲルナハトって言って特別な夜なんだぜ」

それでは、この小さな家の住民を紹介しましょう。
まずは馬小屋でご主人さまにはナイショでおしゃべりをしている3頭の馬たちです。
縮れ毛の可愛い小柄な栗毛馬は、陽気でおしゃべりなヘルくん。
流れ星のような美しい銀髪をもった太った芦毛馬は、素直でくいしんぼうのトルくん。
長い尻尾とタテガミが自慢の大柄な栃栗毛馬は、物静かで引っ込み思案のヴァルくん。
そしてそんな3頭の愛するご主人さまは、甘いものが大好きなのんびり屋さんの徹さん。
白髪のすてきな、小柄の太ったおじいさんです。徹さんは決してお金持ちではなかったけれど、3頭は優しくて馬想いの徹さんが3度の飯より大好きでした。ですから今日はとことんまで愛する徹さんをやりこめてやろうと意気込んでいました。

「僕はいたずら妖精のロビン・グッドフェローさ。こっそり台所とか仕事場とかを荒らして、徹さんが困惑したところに奇襲をかけてやるんだから!」

ヘルがもう跳ね上がらんばかりに目を輝かせて言います。こじゃれた悪さにかけてはその陽気な栗毛馬の右に出る馬はいないほどでした。

「ハイリゲルナハトと言えども」とヴァルが乾いた声で言いました。「ご主人さまをからかうのはどうも賛成できないなァ。ぼくはどうしたら善良ないたずらができるのか知りたいよ」
「徹さまから姿を隠して歌でも唄ってあげなよ」低く粘っこい声でトルが言いました。「驚きながらも喜んでくれること間違いなしだから!」

トルはことさらご主人さま一途のお馬でしたから、どうしたら徹さんが喜ぶかぐらいよく分かっていました。そいつはいいや、一発度肝を抜くような変態ソングを歌ってやりなよ、ヘルも蹄を打ちならしています。徹厩舎の馬3頭は、ご主人さまの趣味もあって、楽器を演奏して歌を唄うという並はずれた特技を持っていたのです。ヴァルはとりわけヴァイオリンを弾くのが好きでした。

「じゃあ…そうしよう、でも徹さんから姿を消すなんてこの不器用なぼくには…」

第一こんなに体が大きいし、尻尾も長いし。長く太い前足を持て余してヴァルはがっかりしました。しょげてしまった友だちの肩をたたきながらヘルは眉間にしわを寄せちょっとだけ考え、…そしてすぐににこにこ笑顔になりました。

3頭の馬は馬小屋にお歌のお稽古の時に使っているおおきな鏡を一枚運び込みました。それを馬小屋の一角に立てかけ、その裏にヴァルが楽器を抱えて隠れるという寸法です。なるほど、そうすればいっちょ前にヴァルの姿は鏡に隠れて見えなくなるでしょう。

ヘルの作戦はこうでした―まずは自分が家じゅうを荒らして徹さんを困らせる、そこに何食わぬ顔でトルが現れて、その罪なまでに愛くるしい黒い目を潤ませてご主人さまを馬小屋までおびきよせる。そして誰もいないはずの馬小屋からヴァルのヴァイオリンと美声が聞こえる…。

この本格的な計画に3頭はすっかり満足していました。


あたりはだいぶ暗くなっていました。

ヘルとトルは馬小屋を抜け出してこっそり小さな本宅にもぐりこみます。徹さんはちょうど居間で安楽椅子に腰かけコーヒーを片手に本を読んでいるところ。彼は君に任せたよ、そう言うとヘルは台所にとびこみます。トルは「あまりむきにならないでね…」と真剣な顔でお調子者のヘルに釘をさしてトコトコ歩き出しました。

「あの、徹さま。クリーム玄米ブランっておいしいんですか?」

突然足元で馬小屋にいるはずの愛馬の甘い声がしたので徹さんは驚きのあまりもう少しでコーヒーをひっくり返すところでした。

「ああ、びっくりした! トルや、お前はいつのまにここに来たんだね?」

可愛いトルの頭をよしよししながら徹さんは困ったような顔をします。素直なトルは、たった今ヘルといっしょにここに来たんです! と答えにっこり笑ってみせます。それと同時に台所のほうでけたたましい騒音!

「しまった、またあの小悪馬の悪さが…!」

椅子からとびあがって徹さんは台所に走っていきます。トルも満面の笑みでご主人さまを追いかけます。

棚から鍋やフライパンなどを蹴り落としてヘルはすっかり上機嫌になっていました、そして徹さんが台所に入ってくるとすぐ超特急でテーブルの下に隠れ、「襲い掛かる」タイミングを見計らいます。

「これはまいった! いたずらヘルくんはどこにいったのかなァ、性懲りもなくキッチンを荒らすのはやめて出てきてはくれないかねェ…」

その言葉に待ってましたと、ヘルはテーブルの下から見事なジャンピングアタックを繰り出し小柄な徹さんに飛びつきます、勢いづいたヘルに不意打ちタックルを決められてはさすがの徹さんもたまりません、金のつぶてに2、3メートルほどふっ飛ばされ床にたたきつけられます。

「降参、降参!! ヘルや、堪忍しておくれ!!」

慌てるご主人さまの手からするりと抜け出し、ヘルはひらりとテーブルの上にとびあがって一目散に逃げ出しました。と、うっかり置いてあったミルクのつぼにつまづきます。つぼはテーブルから落下して徹さんを追って台所に入ってきたトルの頭にガチャン! あろうことかそれはトルの丸い顔にすっぽりとはまって、トルのくりくりの目を隠してしまいました。 さあ恐怖に陥ったのはトルのほうです。突然目の前が真っ暗になったのですからたまりません。

「徹さまーっ? ヘルーっ? みんなどこにいっちゃったのーっ?!」

やっとのことで痛む体を起こした徹さんはそこに大変なことになっているトルの姿を認めとび起きました。すっかりパニック状態のトルは丸い体をゆすってキャーキャー言いながら走り回っています、そのすばしこいことと言ったら!

徹さんがなんとかつかまえようとしてもそうそう上手くは行きません。とうとう芦毛馬は台所からとびだして見えない糸にでもひかれるように馬小屋めがけて駆けだしました。

一足先に馬小屋に戻っていた栗毛馬は、多少計画と違いながらもトルがご主人さまを連れて戻ってくるのを見ると、ヴァルに合図を送りました。震える手でヴァイオリンの弦に弓をつがえます。

「今度はなんだぃ…!」

むせび泣く弦の音にトルを追ってきた徹さんはかすれ声を上げて呻きます。同時に芦毛馬の恐怖は最高潮に達したとみえ、トルは金切り声とともにその場にへたれこんでしまいました。

冷たく張りつめた空気に乗ってヴァイオリンの素朴な弦の音と乾いた声が不気味なまでに響き渡ります。それが愛馬ヴァルのもので馬小屋から響いてくることは分かっているのに、馬小屋が空っぽなので徹さんはすっかりまいってしまいました。ただでさえヘルとトルのテンションに息が乱れているというのに!

ヴァルまで一緒になってボクをからかうつもりかい?

愛するご主人さまが「ヴァルや、後生だから出てきておくれ」と悲痛の声を上げるのを聞いてヴァルはたまらなくなってしまいました。

でも…。

曲はこれからが山です。ここで切ったらきっと自分は死に際に「なんであの時あそこで演奏をやめてしまったんだろう!」って後悔するに決まっています。だから一生懸命最後まで手と口を動かします!

ジングールジャングール鳴り響く からっぽの馬房(へや)の暖炉にはー ぼくのユーレイが サンタークロースに ヘンソウして 待ってるーっ!

「徹さん、ごめんなさいっ!」

鏡の裏からその大柄な栃栗毛はとびだして涙ながらに愛するご主人に飛びつきました。力持ちのヴァルにのしかかられ徹さんは今度は馬小屋の壁に打ちつけられます。

徹さんが悲鳴を上げるのを押し切ってヘルがしんみり。

「11月25日のメリークリスマスならまだわかるけど、10月31日のサンタクロースとはまたとんだせっかちさんだな」

いたずらのほとぼりも冷めるころ、徹さんは可愛い可愛い愛馬たちを力いっぱい抱きしめて感謝の涙を流しました。少々ハメを外したヘルも、やっとつぼを外してもらったトルも、張り裂ける思いとともに季節外れの歌を奏でたヴァルも、ごめんなさい、ごめんなさい! と連発しながらかわるがわる愛するご主人さまの頬に顔をこすりつけます。3頭の愛馬に馬小屋でおとなしく待っているよう言うと、徹さんは台所に引き返し、甘い香りのするバスケットを抱えて戻ってきました。

中には手作りマドレーヌとレーズンサンドが入っています。―そう、もちろん徹さんも今日がハイリゲルナハトであることを知っていて、3頭のいたずらっ子にちゃんとお菓子を用意して待っていたのです。

「でも、君たちのほうがボクより1枚はおろか8枚ぐらい上手だったよ。今宵、ボクほど愛馬からの祝福を受けた馬主はこの村にはいないね、きっと!」

ご主人さまの満足そうな声に、甘いお菓子を競うようにほおばりながら、3頭の馬はとても幸せな気持ちになっていました。

おりじなるメルヒェン、徹さんと馬のトルヘルヴァルの物語処女作です。作中で馬と人間が普通に語り合っているのは作者の趣味ですので疑いなくスルーの方向で…。
登場人物構成は、馬丁の徹さん、ウマのトル、ヘル、ヴァル。まずは徹ご主人さま。「白髪の太ったおじいさん」のんびり屋でのほほんとしていて、ちょっと愛馬に手を焼きつつも3頭のことが大好きな馬丁さん。
ヘルは小柄のお調子者。栗毛馬。ヘルは英語の響きでは「地獄」という意味ですが、ドイツ語では「明るい」という意味。ちなみにドイツ語で「地獄」は「ヘレ」。紛らわしいですが、勘違いのなきよう…; トルは素朴な芦毛馬。3頭のなかでは一番若くて、まだまだ仔馬なところも。トルは「すごい」「恐ろしい」という意味。「ル」を巻き舌してしまうと「おばかちゃん」という意味になる危なっかしい面も。ヴァルはおとなしくて真面目な栃栗毛。最年長のしっかりものです。ヴァルは「くじら」という…げふん!「戦士」「戦場」という意味。
ここまでこったいたずらを思いつきながら、一番理想的に徹さんを驚かしているのはトルくん…しかも彼はなんにもしてないし、なんにも狙ってないのに…(苦笑)あのシーンを書いているときにちょうど、カバンの中に食べずにとっておいたクリーム玄米ブランがあることを思い出したのです。クリーム玄米ブラン、おいしいですよね、あれ。乗馬の前後の体力補充に食べてます。それにしても、トルくん、コーヒーかけられなくてよかった!
ヴァルの歌は≪最後の木の実≫のという歌のワンフレーズです。幽霊がでてくるので使ったのに、別の方面でウケてしまったというもの。サンタは苦労しますです…。


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