笑顔を見せて

はっはと白い息を吐きながら牧場に駆け戻ってきたティナは、一目散に馬小屋にとびこみ愛馬の飼い葉桶にケーキをほうりこんだ。馬房の中で横になっていた栗毛馬は、突然のごちそうにとび起きると、飼い葉桶に鼻をつっこんでこめかみをヒクヒクさせながら無心にケーキをほおばり始めた。 愛馬を見つめ、彼女は唇を噛む。悔しさと羞恥、そして自分に対する叱責の念が胸の内を占領し、いつも何気なく使っているあの一言を、喉の奥にせきとめてしまう。カタカタと飼い葉桶が揺れる音だけが、静寂な馬小屋の中に響き渡っていた。

今日は感謝祭。男女問わず、親友や恋人に日頃の感謝をこめてケーキを贈る日だ。ティナの本命は牧場経営のライバルであるリオン。女神の泉にいる小人のような妖精コロボックルたちが口をそろえて言うことには、リオンは大の甘党らしい。もし頑固者で偏屈なリオンがほんの少しでも微笑んでくれるとしたら…今日しかない、そうティナは確信していた。


そもそも、社交的かつ楽天的で、いつでも陽気にふるまうティナにはたくさんの友達がいた。 乗馬を教えてくれたサラ、仲良しのシン、ハヤトの兄弟に、釣りを教えてくれたレイフ―彼はもっぱらケーキより魚の方が喜ぶようにも思われるが―。ともあれ、大本命のリオンを除いたとしても今日は牧場のお仕事をおあずけに、自家製ケーキを持って村中をまわることになりそうだ。

しぼりたてのミルクに、産み立ての卵をつかった焼きたてのケーキを食べてもらいたいと、ティナは大はりきりで牛小屋に向かう。冬の花の芽村の朝は文字どおり骨の髄まで凍りつきそうに寒い。かじかむ指で愛牛ローリエの乳房にふれると、ほんのりと温かいローリエの熱が指先を通して冷え切った体のすみずみまで行きわたり、ティナは一種の安堵を覚えた。なれた手つきで乳をしぼっていると、ローリエも気持ちがいいのか甘い声を出した。

「寒いねぇ、ローリエ。台所につく前にミルクがアイスになっちゃうかな?」
そんなわけないよね、そうティナが言うと、いかにもそれに賛同するようにローリエも耳をぱたぱたさせる。
「よーし、がんばって作るぞー!」
立ち上がってガッツポーズをすると、ティナは優しくローリエの背中をなで、ミルクをいっぱいに入れた缶を抱え台所に向かった。

月しずく川上流で釣りをしているレイフ、シン兄弟の職人小屋とまわったあと、ティナはとまり木の宿の戸をたたいた。

「やっ、見たところずいぶんと遠くまで行ってきたようだね?」
いつもの快活な声でサラが戸を開ける。
「大当たり! レイフを追っかけてたら大変なことになっちゃった。そうそう、サラにもあるのよ、どーぞ」
「ありがと! 実のところ、あたしもあんたのために焼いて待っていたところなんだ」
サラの焼いてくれた甘いケーキをほおばりながら2人は先月のイベントのことで話に花を咲かせていた。

お月見に収穫祭、草競馬にカボチャ祭り…。
「草競馬といえばリオンとシウン、すごかったよね!」
「はは、まったくそのとおりだ! あんなむっつり屋がどうして優勝できたのか知りたいくらいさ、草競馬ではなにより騎手と馬との信頼関係がモノを言うからね」
ケラケラっと笑うサラを見て、ティナも笑い出した。さて、ではそろそろそのむっつり屋の笑顔を拝みに行きましょうか!
「ごちそうさま、サラ。来年もよろしくね」


夕焼け橋を渡ってがらくた屋の角を曲がり診療所を横目に急ぐとリオンの牧場に到着した。時間はちょうど3時。おやつの時間に間に合って良かった、そうティナは心をはずませてリオン牧場の中にとびこむ。ところが、いつもならものの数秒でリオンにどなりかえされるところなのに、今日に限って待てど暮せどそのぶっきらぼうな叫び声が聞こえない。そればかりか、今日のリオン牧場は、不気味なぐらいにひっそりと静まりかえっていた。おやおや、と首をかしげティナは畑から牧草地を見てまわったあと、普段から鍵がかけっぱなしのリオンの家に近づく。玄関で寝ていたシェパード犬のケルベロスが低い声でうなったがリオンは現れなかった。

「さては独りでわびしく感謝祭を祝っているのかな?」
当初の目的をすっかり忘れティナは、そっと窓から家の中をのぞきこんだ。

一瞬彼女は目を疑った。でも間違いない、台所で料理をしているのは間違いなくリオンだ。何を作っているのかしら、もしや…。彼女の見ている目の前でリオンはてぎわよく卵をわり、卵白に砂糖を加えて泡立てている。間違いない、感謝祭のケーキだ。

「あーあ。リオンって料理も得意なのねー! じゃなくって、あのケーキ、どうするつもりだろう?」
ティナはこっそり独りごちた。

本当に1人で食べるつもりなのかしら。それなら私に一口分けてくれたって良いはずよ。だって今日は感謝祭の日だもん。もうリオンはタネを型に流し込んで、オーブンに入れようとしているわ。 きっと焼きあがったら生クリームをたっぷりぬって、甘いいちごをたくさん飾って…そして私の牧場に持ってくるのよ。「これ、感謝祭のケーキ」とか何とか言ってあの人にとっての『本命』にそれをあげるために! そうしたらその『本命』は大喜びでそのケーキを受けとり「ありがとう、いただくわ」って言って家に入ろうとする。リオンはくいっと『本命』のスカーフをつかんで「お前に全部くれてやるのはもったいないからボクもいっしょに食べる」って言うのよ。「もちろん!」『本命』はリオンを家の中に案内するわ。もらったケーキをテーブルに置いて、お茶をいれて、それから…。

突然、ドアががちゃんと開いて、ティナはビクっとした。クリームの甘い香りがふわっと鼻をくすぐる。
(リオン?)
ティナがはっとした時、すでにリオンは焼き立てのケーキを大切そうに抱え、つかつかと歩き出していた。
「ちょっと…リオンってば!」
しかしリオンはティナの声に気がついてさえいない様子で牧草地に入ると、ピューっと口笛を吹いた。どこにいたのかシウンがパカパカと蹄を鳴らして駆けつける。リオンは満足げに紫がかった黒い愛馬の首をすっすと愛撫。
「ほら」リオンはにっこりした。「ありがとう、シウン」
愛馬がクリームで鼻を汚す前に、リオンはシウンの顎をくいと持ち上げ、そのやわらかく温かい鼻先に小さくキスした。
「来年もよろしく」
フルルとシウンは鼻を鳴らし、ケーキをむさぼりはじめた。その無邪気な様を、リオンはずっと顔をほころばせ、眺めていた。

(あんな顔、私に一度だってしてくれたことがないのに)
リオンの家の陰に隠れティナはうつむいた。シウンにむけられたリオンの笑顔。作り笑いではない、自然の笑み。木漏れ日のようにやさしく愛馬を包み込む見えないヴェール。ティナがずっと見たい見たいと思ってきたリオンは、その勇ましい名に似合わず妖精のように愛らしく天使様のように美しかった。


「なんだ、またお前か」
不意に後ろで声がする。きっとそこには普段の苦虫をかみつぶしたような表情のリオンが立っている、そう思うとティナはふりかえることができなかった。
「おまえの気のぬけた顔を見てるとイライラするんだ」リオンはフンと鼻をならし、小バカにするような調子で続けた。「だからふりむくな。そのまま黙って牧場に帰れ」
吐き捨てるように言って、リオンはティナの傍を通り過ぎ家の戸口に手をかける。一瞬彼はためらった、しかし思い直したようにドアノブをまわしながら冷淡な口調でそっと言い残した。

「だからお前は半人前なんだ。本当に感謝すべきなのはボクじゃないハズだ。本当に微笑んでもらいたいのはボクじゃないんだろう?」


―あんなむっつり屋がどうして優勝できたのか知りたいくらいさ、草競馬ではなにより騎手と馬との信頼関係がモノを言うからね―サラの言葉が耳をくすぐる。でもそれはリオンに向けられた言葉では決してなかった。お互いを結ぶ『信頼』という絆。それは心の奥底からお互いを信じ合えること。祭りに、草競馬に勝ちたいがために注がれた形だけの愛情や、にんじんが欲しいがゆえに言うことを聞く素直さではなく、ただそこにいるだけでお互いが安心感につつまれるようなそんな信頼関係。それはティナが一番忘れがちになってしまうものだった。

いつの間にかティナの目は涙で一杯になっていた。栗毛の愛馬がケーキを食べ終わってひょいと顔をあげる。はっとして、ティナは涙をぬぐうと愛馬の長い顔をひきよせほおずりした。

―そういえば…飼い葉とかおやつ以外でこの子にプレゼントをあげたのはこれが初めてだったな…―

すっと胸が晴れる気がした。今なら言える。レイフにそう言ったように、シンやハヤトに言ったように、そしてサラにもごくごく自然に言えたあのあいさつが…。
「ごめんね、グラーネ。それから、ありがとう。来年も…よろしくね」

ティナがそっと手を放しにこっと笑うと、グラーネもつんと顎を上にむけ、わらった。

リオンとシウンの友情ものを書いてみたくて!リオンは(妖精さんということは度外視して;)自然に動物と心を通じ合わせているイメージ。そして愛犬のケルベロスですが;攻略本に載っていた写真から勝手にシェパードにしています。もっとスリムで運動神経抜群の犬のイメージだったのですが、結構コロコロしていてショック隠せず(苦笑)


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