ビンテージテースト

お皿に置かれた小さなケーキ。かまぼこの形をした小さなケーキ。クリームも苺もキャンドルも飾られてなくて、細かな粉砂糖の雪がたっぷりつもった、パンのようなケーキ―。それがクリスマスケーキなんて言ったら、ほとんどの人が自らの常識を疑うだろう。クリスマスのケーキと言ったらきっと誰もが、純白の生クリームにくるまった丸いケーキをイメージするだろう。そのケーキのうえには初物の苺がぐるっと飾られていて、特別想いがある人たちはそこにパステル色のろうそくをやさしく灯すだろう。ろうそくと、苺と、生クリームで甘く着飾った豪華なケーキ! それが主の誕生を祝う大切な聖なる夜にふさわしい、きっとみんな、そう思っている。

だけど。そればっかりじゃないってこと、彼は私に教えてくれた。


冷蔵庫から半分ぐらいに減ったケーキを取り出す。ラップをはがすと、かんきつ系の甘酸っぱい香りがふわっと漂う。粉砂糖が万年雪のように固まってはらはらと落ちる。雪崩が起きないように気をつけながらケーキをナイフで薄く切って、口に運ぶ。

―うん、昨日よりずっとおいしくなってる! 昨日より、一昨日より…一週間前より!

人肌に温めたミルクにイースト菌をとかして、砂糖、玉子、溶かしバターと合わせて。じゅうぶん撹拌したらさらに強力粉と薄力粉を混ぜて、シナモン、カルダモンを中心にスパイスを加えて。第一次発酵は50分。それがすんだらとっておきの隠し味を織りこんで、さらに第二次発酵20分。最後に190度のオーブンで20分ぐらいじっくり焼いたらひとまずは完成! 表面にたっぷりバターを塗って粉砂糖をまぶしたら、ラップに包んで冷蔵庫に入れておく。

あとはじっくりゆっくり、時間がケーキを「調理」してくれるのを待つだけ。隠し味から徐々に徐々にお酒と甘みがにじみ出て、一日一日と、このケーキの味は深まっていく―それはまさにアドベントカレンダーならぬアドベントケーキ! 毎日毎日、カレンダーの窓をあけるように、どんな味になったかなってケーキを切っては口に運ぶ。

はじめのうちはぱさぱさしていたケーキが、日か経つにつれしっとりと、濃厚な味わいを醸すようになる。―見た目は素っ気ないけど、中は重厚で複雑なのは―まるで彼にそっくり。


* * *


「チハヤ、今日クリスマスだよね、ケーキ作ったんだ」
味見用とは別に用意しておいたケーキをパラフィン紙で包んで、両端を赤と緑のリボンできゅっと縛る。これはキリストのおくるみをイメージしているんだって。それをチハヤに見せると、チハヤは飾り気のないそのクリスマスケーキをちっとも不思議がりはしなかった。…いや、それはむしろ当然かもしれない、酒場の厨房でいろんなスイーツを手掛けている彼のことだもの、彼はそのケーキをもうよく知っているに違いないから。

「シュトレン、だね。ずっしり重くてよく出来てる、形はあんまりよくないけど」
「発酵させてるうちに二つ折りに閉じておいた生地が開いちゃったの」
「ハハ、ヒカリのことだから、そんなもんだと思ってたよ」

軽口をたたくのはいつものことだけれど、なかなかとこう思い通りにいかないところも、シュトレンと彼はよく似ている。こちらが上手く封じ込めようとしてもすぐにぱっかりと口を開いて、やんわりと侮辱するように無邪気な笑いを浮かべるのだ。

チハヤは飾り気のないシュトレン同様、むっつりとした表情でナイフを取り出して、私が作ったクリスマスケーキをさっくり切って口に運ぶ。

「ふうん…なかなかやるじゃん」
かんきつ系のさっぱりとした酸味が利いた評価。…と思ったら、彼は私の心中を慮るように大きくうなずいて付け加えた。
「これはヒカリにしか出せない味だよね」
「どうして?」
「このオレンジがそう言ってる。このオレンジは、ヒカリ手作りの漬け込みオレンジでしょ?」
「うん」
そう言いながら、私はもう頬の一点が熱くなるのを感じていた。「うん」と答える自分の声が妙に上ずっているのにどきまぎしてしまう。だってそのオレンジは私にとって―ううん、私たちの歴史のなかで、とっても重要なオレンジなんだもの…!
「前にチハヤが漬け込みフルーツの作り方、教えてくれたでしょ? ルークたちの思い出話に、私が私もみんなと同じ時間を共にしていたら…ってちょっと淋しくなっていたとき。思い出はこれから先、いくらでも作れるってチハヤが言ってくれて。それがとっても嬉しくて。あの日、牧場に帰ってすぐにオレンジを漬けたの。チハヤがいま食べてるのは、そのオレンジ!」
だけどね、と私はもう自分で自分を制御できずに続けてしまう。
「もうひとつ、シュトレンを作って気がついたことがある。今の自分を熟成させるのは過去の自分だってこと、昨日があるから今日、今日があるから明日、シュトレンは味を深めることができる。そう考えたら、ほんの些細な出来事も、ううん、一見平凡に感じられる一日一日が、アーモンド色の輝きに見えるようになってきたの。なにも特別なことがなくても熟成は進んでいく、だから何気ない一日も、何気ない一時も、大切にしようってそう思えるようになった」

私の言葉にチハヤはなにかを確信したように口を歪めて、形容しがたい頬笑みを浮かべた。ちゃっかり者のチハヤには私の思惑なんて全部お見通しだったようで…それにチハヤに少しでも早くせきあえぬ想いを伝えようと必死になっていた私にはたぶんきっと、…隙がありすぎたのだと思う。

「じゃあきっと、このオレンジが入ったラベルに書いてある言葉も当ててみせるよ―だけどその前に、シュトレンのお礼にとりたてて何の変哲もない毎日を送っている僕らの熟成具合も確認してもらえるかな?」

その言葉の意味を私が整頓する前にあの時と全く同じように彼に唇をふさがれて―。素朴な表象に隠された複雑極まりない彼の愛―蒸留酒の老木から発せられるような落ち着いた薫香とかんきつ系の甘酸っぱい香り。それは優雅で酸味のきいたビンテージテイスト。一体この味はどこを起源とするのだろう、そんなことをふっと考え、いくらでも答えがみつかりそうな充実した私たちの「過去」を思い出し、さらにはこの味が近い未来どんな芳香を漂わせるかしら、そんな途方もないことまで想像して、嬉しさのあまり私は笑顔になった。

クリスマスケーキというと、ドイツのクリスマスケーキ、シュトレンがまっさきに浮かぶワタクシ。全然見た目に華がないところがとってもドイツ的。そのくせ、中の漬け込みフルーツには10日以上(家庭差あるみたい?)、出来上がってからじっくり1ヶ月、熟成させるための時間が必要という手間だけはかかるところもやっぱりドイツ的。。こんな素朴ななかに内なる魅力を秘めたシュトレンがチハヤに似てる、そして少しずつ少しずつ味を深めていくところはチハヤとヒカリに似ているな、と思いましたです。さらになんか憎らしいところもチハヤに…!
さて、ところでこの作品、実は2011年牧場物語15周年記念webアンソロジー 夏の感謝祭にて、ららさんが寄稿されたお話『熟成期間』からインスピレーションを受け、その「続編」として書かさせていただきました♪(*ららさんの作品『成熟期間』はこちらより!)


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