愛は最高の料理長!│Liebe ist der beste Koch!

遠い遠いどこかの国に、ロッセルドルフという名前のとてもとても変わった村がありました。その村はどの家にも必ず一つは馬小屋があって、そこに住んでいる人たちはみんな、犬ぐらいの大きさの馬と暮らしていました。馬たちは、首輪の代わりにご主人さまが用意してくれた決まった色のスカーフを首に巻いていました。なにせロッセルドルフはとても小さな村だったので、たいていスカーフの色をみればその馬がどこの家の馬か一目でわかってしまうのです。

ロッセルドルフにはこんな言い伝えがありました。

昔々。まだこの村が戦に明け暮れていたころ。酋長は軍馬におやつを与えることを禁じました、彼は馬を甘やかして兵力を低下させてはならないと考えたのです。ところが、甘いものを食べられなくなった馬たちはどんどん痩せ細って、終いには長いこと駆け続けることもできなくなってしまいました。甘いお菓子は馬たちのエネルギー源になっていたのです。兵の中に1人、禁令を破って愛馬にこっそりはちみつや角砂糖を与え続けていた武将がいました。軍の中で彼の馬だけはいつでも力がみなぎっていて、どんな激しい戦火でもかいくぐって戦うことができました。酋長は彼らの戦いっぷりにとうとう自分が間違っていたことに気がつき禁令を解きました、すると少しもしないうちに馬たちは力をとりもどし、村は戦に勝つことができました。酋長は勝利の記念日をその駿馬の名前にちなんでヴァレンタインの日と名づけ、毎年2月14日のヴァレンタインの日には人間たちが自分の愛馬や親戚、また友だちの馬に甘いお菓子をプレゼントして、馬たちを祝福するのが村の慣わしとなりました。

さて、村はずれに質素な一軒家を構え、自分の小さな畑で家庭菜園を営んでいる徹さんは、おおらかで懐が深く、音楽と冗談に甘い和菓子が大好きなユーモアあふれる太ったおじいちゃん。彼のその大きなお腹には馬たちへの愛情がいっぱいいっぱいつまっているのです!

そんな馬想いの陽気な馬丁には3頭の大切な愛馬がいました。お調子者で頭の切れる、栗毛馬ヘル。しっかりものでまじめな、栃栗毛ヴァル。正直者で素朴な、芦毛馬トル。毛色も性格も生い立ちもまったく異なる3頭の仲良し馬は、優しくて慈悲深い徹さんが三度の飼い葉より大好き! ある年、馬たちは徹さんと相談して、3頭と徹さんだけの特別なやりかたでヴァレンタインのお祝いをするようになりました。

そうこうするうち今年も、ロッセルドルフにヴァレンタインの日が巡って来ました。今日は朝から徹さんも馬たちも大忙し。ヘルは買い物袋を首にかけて村に走ります。徹さんとヴァルは冷蔵庫と戸棚の中をひっかきまわしています。トルは小さなかごと水筒を持って、畑のすぐそばの、小さな森に出かけていきました。

トルが森で木の実を拾っていると、歓迎すべき訪問がありました。徹さんのお友だちの、お肉屋さんの哲郎さんです。散歩の途中に親友の芦毛馬を見かけた哲郎さんは早速、せっせと木の実を集めているトルに明るくあいさつしました。

「やあ、おはよう、トルくん。1人で徹さんのおつかいですか?」
「おはよう、哲郎さま! ううん、違うんだよ!」
トルはすっかり得意になって胸をはりました。
「あのね! 今日はお菓子コンテストの日なんだ! 毎年、ヴァレンタインの日にボクとヘルとヴァルはお菓子を作って徹さまに食べてもらうんだよ。それで、徹さまが誰のお菓子が一番おいしかったか発表するんだ。…だけどいっつも徹さまは『困ったねェ、どのお菓子もおいしいねェ! また今年も引き分けだ!』って言ってボクらはみんな優勝さ、そしたら徹さまは『ボクだけおいしい思いをするのはいけないねェ…』って言ってさいっこうにおいしい黒砂糖のケーキをたっぷりプレゼントしてくれるんだ!」

でも、今年こそ絶対、ボクだけが優勝するよ! ボク、木の実をたくさん拾って、徹さまの大好物の、木の実入りヨウカンを作って徹さまを気絶させるんだから! そう自信たっぷりにトルが付け加えると、哲郎さんはすっかりいじらしい気持ちになり、にこにこと穏やかに微笑んでトルの健闘をお祈りしてくれました。

そう、これこそが馬たちが提案した徹厩舎流ヴァレンタインのお祝い方法。ことの発端はあるヴァレンタインの日、徹さんが重い病を患って寝込んでしまったときのこと。トルとヘルとヴァルは病魔に苦しむ徹さんに精一杯の真心をこめてクランベリーのパンを焼き上げました。愛馬たちの祝福をいっぱいに受けとめた徹さんはあっという間に全快。徹さんが元気になると、3頭の馬たちは思い切って胸のうちを告白しました。

『ロッセルドルフが戦に勝利したとき、酋長や武将たちがヴァレンタイン号とすべての軍馬を祝福したように、ヴァレンタイン号とすべての軍馬たちも、戦で自分たちを信じ、自分たちを勝利へと導いてくれたご主人さまたちを誇りに思い、ご主人さまたちに感謝の気持ちを抱いたに違いない。だからヴァレンタインの日には、人と馬両方が、お互いにお互いを祝福するべきだ』と。

愛馬たちの言葉に徹さんはびっくりして首をふりました。
―お前たちがそう言ってくれるだけでボクはもう充分嬉しいよ!―
でも! とトルが黒い瞳を潤ませて言葉を続けます。
―お砂糖は幸せをもたらすものって考えられているんでしょ? お砂糖がたっぷり入った甘くておいしいお菓子を作ってみんなで食べようよ、ボクたちだけおいしい幸せを独り占めするわけにはいかないよ!―

トルのけなげで可愛らしいこの言葉に徹さんはとうとう折れてしばし考えをめぐらし、そしてこの「お菓子コンテスト」を提案しました。馬たちの願いに徹さんの遊び心を調味したこのアイディアに、馬たちは大賛成! 

ところが…。

トルの言葉によほど感銘を受けたのか、それとも単なる大人気ないいたずら心からか、この「お菓子コンテスト」は記念すべき第一回目から本と末が転んで倒れるどころか、本が倒れて末に転じ、徹さんの『ボクだけおいしい思いをするのは…』が恒例の決め台詞となってしまったのです。


哲郎さんと別れ、トルは森の泉にお水を汲みに行きました。とても澄んできれいな泉の水は人馬ともにそのまま飲んでも大丈夫。トルはどんなお水よりこの泉の甘くて冷たい自然のお水が大好きでした。そして今日も、この最高級のお水でお菓子を作ろうと決めていたのです。…ところが。トルが水を汲もうと泉の辺に走っていくとそこに1頭の子馬がうずくまっていました。

それは小さな、痩せこけたメス馬でした。体はキャラメル色で、鼻の周りが白く、クリーム色のタテガミと尻尾はふさふさと柔らかく、そして黒い蹄をしていました。
「どうしたの? なんで泣いているの?」
「近づかないで、触らないで!」
子馬は透き通った細い声で言いました。
「ボク、何もしないよ。どこからきたの?」
「ずうっと遠く」
「なんで泣いているの?」
「みんなが私のこといじめるの」
「…かわいそうに! 名前はなんていうの?」
「ニクセ」

ニクセは首にスカーフを巻いていませんでした。でもトルが泉を覗き込むと、キラキラと銀色に輝くスカーフが沈んでいるのが見えました。
「ボクはトルっていうんだ。あの…泉の底にあるのは君のスカーフなの?」
「ええ、泣いているうちに落としちゃったみたい」
「とってあげるよ、そんなに泉は深くないから」
「やめて! あんなものいらないわ。あんなものをつけるぐらいなら、いっそ死んだほうが楽!」

トルはびくっとして後ずさりしました。ロッセルドルフではスカーフがなくては馬はのら馬同然、ニンゲンたちからなにをされるかも分かりません。でもきっとニクセは、それ以上に辛い思いをさせられたのでしょう。トルはどうしたらよいやらまったく分からなくなってしまいました。
「みんなってニンゲン?」
「ええ」
「ムチで殴られたの?」
「ええ」
「へとへとに疲れるまで働かされた?」
「ええ」
「…ボクとおんなじだ」
「…」

ニクセは目を丸くしてトルを見つめていました。やがて、少し安心したように泣くのをやめて身の上を話し始めました。

「私は村のお馬乗り場の馬なの。いろんなニンゲンが私の上に乗ったわ。とっても立派に乗ってくれるニンゲンはほんのちょっぴり。あとは優しすぎるニンゲン、自分勝手でむやみやたらにムチで殴ってくるニンゲン、乗り終わったあと私のことちっとも労ってもくれないで手入れもいい加減なニンゲン…。今日は一体何をされるんだろうっていっつもビクビクしてなくちゃ、ニンゲンは怖いわ」
それに、とニクセはもっと悲しそうに目に涙を浮かべます。
「今日はヴァレンタインの日なのに、誰も私にお菓子をくれないの。私、生まれたときから馬乗り場の馬で、誰の馬でもないの。お世話してくれるニンゲンは何人かいるわ。でも夜になると私はひとりぼっち」
でもね、とニクセは少し明るい声で続けます。
「でもね、私ね、あるときハードル競走に出て優勝したの。そしたら初めて、みんなが私のこと褒めてくれたわ。私、嬉しくて、ハードル競走のときはとにかくがんばって走ろうって決めたの。そしたら、みんな、私のこと、優秀な馬って呼んでくれるようになったわ。私、きっとみんなから愛されてるって、ヴァレンタインの日にはみんなからお菓子をもらえるって思ったの…でも。この前のレースで私、足をくじいて転んじゃった。そしたら、あんなに私のこと褒めてくれてたニンゲンがみんな、冷たい顔をして私のこと、役立たずって言ったの。たったひとりだけ、私のこと、すごくすごく労わってくれた女の子がいたわ。私もあの子だけはとってもとっても大好きだった…だけど、私の見てる前で乗り場のエラいニンゲンたちが彼女を大声で叱り付けて…もう彼女は乗り場に来なくなっちゃった。で、私は走れなくなったから、お肉屋さんに売られることになったの」

私はひとりぼっちで誰の馬でも無いもん、肉屋に売られて殺されてお肉になっても、悲しむ人も困る人も誰もいないわ! あのいまいましい銀のスカーフ、あんなものを巻くために私は生まれてきて、そしてあんなつまんないもののために死ぬんだわ! どうせスカーフの色で馬生決まるんなら、私、一生に一秒でも良いから誰かのお馬になれる色を巻きたかった! そう言ってニクセはまた、泣き出してしまいました。

ニクセの言葉はトルに、トルが前にいた名門厩舎のことを思い出させました。村屈指の有能馬が集められた名門厩舎。大金持ちの厩舎でスカーフはきんきらきんの金色。いま、トルの首に巻きつけてある質素な藤色とは比べ物にならない美しさ。…でも華やかな見た目とは裏腹に、馬たちは暗い馬房に押し込まれ、機械的に手入れされ、機械的に決まった時間に決まった量だけご飯が配られ、機械的な単純労働をさせられ…。ヴァレンタインの日も確か、ちっぽけなクッキーか砂糖菓子が一切れ二切れ、飼い葉桶にほかしこまれただけだったっけ。それもどの馬にもまったく平等に、儀式的に…。トルは徹さんの馬になって初めて、ヴァレンタインの日に大きなアップルパイをプレゼントされた上に徹さんに力いっぱい抱きしめてもらって、驚きと嬉しさのあまり気を失ってしまったことまで思い出しました。

「ボクも…少し前まで誰の馬でもなかったんだ…それで、仕事中に足をくじいて厩舎から締め出されて…ヘルとヴァルが助けてくれて」
あ、そうだ、ボクの今の家においでよ! トルははっと思いついて目を輝かせました。足の悪いボクを救ってくれた徹さん。肉屋行きのヴァルをなけなしのお金で買い取ってくれた徹さん。牧場をお払い箱にされ捨て馬だったヘルの里親になってくれた徹さん…きっと徹さんなら喜んでニクセを迎えてくれるはず!

「私、ここにいたいの」
「でも、お日様が傾いたらここはすっかり寒くなっちゃうよ」
「私、お腹がぺこぺこで動けない」
「ボクの家はすぐそこだもの! 家についたらにんじんもりんごも青草も、なんでもたっぷりあるよ」
「私、足が痛くて動けない」

トルはすっかりうなだれてしまいました。どうしよう、でも彼女をここに残しておくわけにはどうしたっていきません。もしかしたら馬乗り場の人がニクセを連れ戻しにくるかもしれない、そうでなくても夜になれば霜が降りて、弱りきった彼女は凍え死んでしまうでしょう。

「ここで待ってて。なにか食べるものを持ってくるよ! そうしたらきっと君は元気になって、ボクの家まで歩いていけるようになるから!」
「トル…」

トルは大急ぎで水を汲むと、動揺するニクセを残して走り去りました。

徹さんの家まで一息で駆け戻ります。もうヘルも帰っていて、どこまで行ってたんだよ、トルー! 早く早くー! と急かします。大親友の快活な声にトルもにっこり笑って「うん!」と荷物を抱え、台所にとびこみます。そこにはもう、黒砂糖と小麦粉を大量に抱えた徹さんの陽気な歌声が響き渡っていました。


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